オーディオの今や昔の話
その5 アンプの愉しみ
昔から何故かアンプに惹かれた。
これを通ることで音楽が形作られ、
光を放ち、力をみなぎらせる。
私にとってはブラックボックスであり、
魔法の箱としか感じられない。
基本的な動作原理はわかっていると
しても、同じような部品がいっぱい並
んでいて、それぞれに役割と働きが
あり、しかも構成や部品で音が違う。
不思議で面白く、興味が尽きない。
アナログが全盛の40年前には私は
秋葉原のオーディオ専門店の店員
だったけれど、オーディオ製品の中
で音に一番支配的で重要なのは
プリアンプだと感じていた。
プリアンプ部には、LPプレーヤーか
らの出力をチュナーやテープなどの
他のライン出力と同じ音量にあわせ
るためのイコライザーアンプが入っ
ている。
これの音の差は本当に大きなものが
ある。
メーカーの実力や技術、あるいはオ
ーディオの哲学の見せ所であり、部
品の差も歴然と現れた。
柔らかい音、冷徹な音、鈍い音、暖
かい音、粗雑な音、千差万別だ。
世が手軽なCDへと移行するとともに、
音の差がでるものは無い方が無難
ということになり、メインアンプ(パワ
ーアンプと呼ぶ場合もある)のみの
アンプが増えていった。
アンプの音の差にいろいろと理屈を
つけてアピールする場合、回路のこ
とが多く説明されるけれど、スピーカ
ーを実際に動かしているのは電源部
で、アンプ部分はその音量の制御を
しているにすぎない。
だから回路以上に電源部の質の差
が音に出る。
動作が不安定でノイズが多いものは
再生音にそのままその余分な音が
のっていく。
電源部を疎かにしたものにろくなも
のはないけれど、ただ大きければい
いというものでもない。
実効出力が50Wとか100Wとか書い
てあると、大きい方が余裕があって
安定したいい音が出て、高級だと
思われがちだ。
けれどアンプには部品に由来する
ノイズが必ずあるので、出力が大き
いほどそのノイズも大きくなってしま
う。
大出力のアンプほどその雑音につき
あわなければならない。
こうしたノイズは音楽の微妙なニュア
ンスを消し、匂い立つような存在感
を感じさせなくしてしまう。
それを補うために低音や高音を強調
してアクセントをつけ、音のメリハリを
つけるごまかしが横行する。
迫力は増しても音は自然な柔らかさ
を失って、鈍く、重いものになってし
まう。
高級な製品ほどこうした傾向は強い。
そしてそんな鈍った中にニュアンス
を求めて無理に聴こうとするので、む
やみに音量を上げたくなる。
音のニュアンスを感じるアンプは、極
端な大音量はでなくても微小な音の
再現性にすぐれている。
いかに大きな音が出せるかではなく、
小さい音と大きい音の差=ダイナミ
ックレンジの広さが大切だ。
雑音が多ければ、その分ダイナミ
ックレンジは狭いものとなる。
私の経験では50~70W位の出力の
アンプで電源部が丁寧に作っられコ
ストもかけられている製品が好ましく、
共感を覚える。
現行の製品ではFIDELIXのCER
ENATE(143000円)、古い製品で
はONKYOのA-1E(定価18万、
中古で約4万円)が私の嗜好にあ
い、多くの人にもおすすめできる。
シビアに音の差を表現し全てを暴き
出すような厳しさを持ったモニター的
なCERENATEに対して、伸びや
かでゆったりと音楽を楽しめるA-1
Eという個性の差があり、私にはどち
らも手放せない。
この価格を高いと思うか、そうは思わ
ないか、価値の違いはあると思うけ
れど、100万どころかもう一桁も多い
価格の製品を上回る、究極の性能の
アンプを思い通りに使う快感は後戻
りすることができない。
少ない小遣いの大半をLPやCD、
オーディオ製品につぎ込む暮らしを
もう50年近く続けている。
音量さえ気をつければ誰の迷惑に
なることもない。
人間の生きる悦びや哀しみ、魂をゆ
さぶる存在の重さ、自分の到らなさ
など多くをオーディオや音楽を通じ
て感じることができる。
とても健全だと自分では思うのだが。
アンプは自宅ではONKYO A-1Eを
職場ではFIDELIX SERENATEを使って
いる。
測定機精度の部品を使い、量産でなく
手組で仕上げたA-1Eは、長い間サーボ(負
帰還NFB)を追求していたONKYOが最後に
いきついたほとんどNFB無しのアンプ。
伸びやかで素直な音に惹かれる。
また裸特性を追求し、なおかつ深い
帰還をかけるFIDELIXはブレのない
精緻を極めたリアルな音だ。
低音も力強い。
私には二つの音が必要だ。