俳句番外     石の兎

石の兎             松橋晴

私の家には、代々伝わるうさぎの置物があ
る。真正面から見ると表情豊かで、もぐもぐ
と草を食んでいるように見える。石なので柔
らかな毛並みは表現できないが、横から見る
と、すべらかな曲線が現れている。自然の中
の夾雑物を濾し出したような、不思議で魅力
的な曲線。母や叔母たちも何度触れたか分か
らないその流線型の曲線には手の脂がしみ込
んでいる。全体のくすんだ灰色の中に、少し
濃い光沢でシルエットを際立たせる。
作ったのは堀江尚志という遠い親戚にあた
る人だという。どういう経緯でここに来たか
は誰も知らなかった。私の祖父は趣味人で、
能や書も嗜んでいたらしい。川合玉堂の絵も
あったという。けれど戦時中に亡くなって、
働き手を失った松橋家は貧困のどん底に置か
れた。持っているものはすべて売り、それで
も日々の暮らしに困っていた。だからこの石
の兎もそれほど高価なものであるはずはない。
南部鉄器の工芸家であった大叔父の松橋宗明
の作った水滴がいくつかとこの石が、長男の
私に辛うじて托されている。
子供の頃から親しみ、いつも手に触れてい
た兎の石には惹かれるものを感じていた。冷
やかなのに暖かく、動かないのに動きがある。
切れ長の眼は瞑想しているようだ。内に凝縮
しようとするエネルギー。それは私の内部の
何かと反応する。身体の芯に静かな炎が灯る。
一度この石を、他の場所で見かけたことが
ある。20年ほど前になるけれど、盛岡の中
心街にあるデパートの正面玄関のショーウイ
ンドの中に置かれていた。寸分違わぬその兎
は、深みのある緑色と茶色が微妙に混じり合
い、輝かしい質感を持っている。瞑想的であ
るよりは饒舌で、女性の肉体の豊穣を感じさ
せる。そして、その時謎が少し溶けた。私の
家にある石は、このブロンズを作るためのセ
メントの試作品だったのだ。東京美術大学(
現在の東京芸大)の先輩だった宗明に試作品
を見せに来たのだろう。結核という病と闘い
ながらの制作活動の中、それなりに手応えの
ある自信作ではなかったか。
創造の悦び、志半ばで逝く哀しみ、華やぐ
四姉妹の成長、家長の死と家の没落、皆に愛
された長男の死。さまざまなものをこの石は
見届け、いつも傍にいて受け止めてきた。
祖母の家の仏壇の脇の古びた桐の箪笥の上
に置かれていた兎の石は、今は私の部屋のス
ピーカーの上にある。オーディオマニアの端
くれである私にとっては最上位の場所である。
相変わらず横向きに置かれいる。互いに無口
だが、いっしょにレコードの音を聴いて、束
の間の安息をともにしている。
私が死んだらこの石はどうなっていくのだ
ろう。子供たちか、孫の手に渡っていくのか。
ただのセメントの塊として打ち捨てられるの
か。私が決めることはできない。この石の力
を信じ、ともに生きようとする者がいること
を願うばかりだ。

関連記事

ページ上部へ戻る