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- 俳句 晴暦40年の3月16日~3月22日
語り部の巨大堤防とかげ出づ
何処から見えぬ土降る線量計
地野菜の見知らぬ呼び名山笑う
晴
写真は宮古港近くにある役にはたたなかった大きな堤防
復興はまだまだですが、自然は確実に戻っています
3. 11
東日本大震災からもう9年たってし
まいました。
近い親戚の直接の大きな被害はあ
りませんでしたが、東北生まれの私
にもかかえきれない大きな課題を
つきつけられたようでした。
反原発運動には長い間少しづつで
もかかわってきましたが、そんなこと
には関係なく影響はやってきます。
扱っている野菜の放射能の残留に
は本当に悩みました。
安全な食べ物を売るのが仕事なの
ですから、無条件に売ることはでき
ません。
けれど今まで付き合ってきた生産者
を切り捨てることもできません。
線量計を買って自分でも測定し、専
門家への測定の依頼、ベラルーシ等
のチェルノブイリ事故の後のケアを
確認し、ここまでだったら大丈夫だろ
うという一線を決めました。
それでも消費者のみなさんに受けい
れられなければ、仕事を辞めるしか
ありません。
売り上げの半減以下を覚悟していま
したが、それほどではなく少しだけ
の減少ですみました。
30年積み重ねたものを失う覚悟を
しましたが、こちらの懸命な態度が
理解されて安心しました。
そして心掛けたことが、なるべく特
別なことをしないことでした。
同業者の中には関西野菜セットを
作って売り上げを伸ばしているグル
ープもありました。
できるだけ以前と同じことつづける
ことが私たちにできる最大限ことと
思いました。
いつもと違うことはカンパを集めた
ことだけでした。
数十万円の浄財が集まり、生産者の
必要度に応じて送らせていただきま
した。
石巻で被災しやむなく大阪に移転した
パプアニューギニア海産、いわき市で営業
を続ける三陸水産などに主に送りまし
た。
被害の金額にくらべればほんの僅かで
はありますが、気持ちを届けました。
苦慮した主産地のひとつ茨城の野菜た
ちは、そのまま売り続けることで多少
の支援になったかもしれません。
やっと少し冷静に思い出すことができ
る状態になったのも、みなさんのおか
げと感謝しています。
ありがとうございました。