日本の農業の厳しさと未来

台風やハリケーン、旱魃に洪水、記
録的な高温に時折訪れる大寒波な
ど、異常な気象が毎日のようにニュー
スになっています。
今や異常が日常となってしまってい
ます。
それは自然とは切り離すことができな
い農業にも大きな影響が及びます。
種を撒けない、撒いても発芽しない
ことも多くあり、また成育途中でも水
不足やあまりの高温のためまともな
収穫が望めないものもあります。
大根や人参、里芋などは水が豊富
でないと健全な成育は望めません
が、とても厳しい状況が続いていま
す。
またさつま芋などは日照があれば
本来水はあまり必要ありませんが、
それでもあまりに水分が少ないため
品質はいいけれど収穫量が少なく
なっています。
けれどまだ野菜は、種まきの時期
をずらしたり、品種を変えたりすれば
対処できる可能性があります。
しかし一度植えると長い間収穫をす
る果樹は、土づくりで根を強く張らせ
なるべく健全な状態を保つことと剪定
くらいしか方策がなく厳しい状況が
続いています。
暑さに比較的強い柑橘はまだ良いの
ですが、比較的冷涼な気候を好み、
昼夜の温度差で味がのってくる梨や
りんご、ブドウなどには壊滅的な被害
が出始めています。
また中山間部で成育させることが多
いこれらの果樹たちには動物の食害
も大きな問題です。
この気候のため山に餌がなくなり、ま
た作物の美味しさを味わってしまった
猿や猪、鹿などの動物たちが畑にや
ってきます。
柵を作り、電気を流して対処しても、
彼らはそれを乗り越してやってきます。
穴を掘り、木によじ登り、こちらの工夫
を上回る智恵で畑を荒らします。
その中でも最強、最悪は猿で、猿
が出始めたら農業はできなくなると
生産者は言います。
しかし本当の元凶は人間かもしれま
せん。
農業を取り巻く環境の厳しさは程度
の問題はあれ、昔からありました。
しかし今、多くの農業者のかかえる
無気力の原因は日本の政策です。
日本の物価は安く、給料も低い状態
が続いています。
それは工業製品を輸出する大企業
にとっては有利なことですが、農業者
や大部分の生活者にとってはとても
困難な状況です。
自動車や電気製品等を輸出するか
わりに安い農産物が大量に輸入さ
れ町に粗末な食べ物があふれます。
食べ物が安いことは一見良いことの
ように感じますが、命を育む大切な
食べ物が疎かにされれば、育つ命も
本来のエネルギーを持てません。
また適切な収入を得られない仕事で
は、次の世代が真剣に農業に取り組
むこともできません。
親を見てあんなことはしたくないと思
い、また親もこんな苦労を子にはさせ
たくないと思えば、伝統や創意も継続
できなくなります。
また農業者としての誇りも持てなくな
っています。
大企業が税金も優遇され、格差が
ますます広がり、貧しいものはより貧
しくなる現実は酷くなっていきます。
農業という命や国を根底から支える
ものを大事にしない政策に大きな
憤りを感じます。
これに対処する方法は、私たち弱者
にはほとんど残されていません。
晴屋はなるべく変わらないことで、で
きるだけ抵抗しようと努力してきまし
た。
43年の歴史の中で出会った生産者
となるべく変わらない付き合いをし、
同じ物を扱い続けることで、世の流
れに抗おうとしました。
東日本大震災の時も、放射能のへの
不安から同業他者は関西セットのよ
うなものを企画して売り上げを伸ばし
ていました。
しかし私たち晴屋は今までの生産者
を切ることはできません。
寄付を集めて送ったりもしましたが、
大きな支援にはなりません。
それで、できるだけ今までの通り付き
合いを続けるで共に生きようとしました。
消費者のみなさんにも理解をいただ
き、なんとか継続することができました。
しかしこの厳しい天候、そして私も含
めた生産者の高齢化と世代交代の
問題、運賃や資材費、電気代等の
値上がりは大きく私たちの前に立ち
ふさがります。
廃業した農家も多くあります。
もう来年は出荷は期待できないかも
しれないと感じることもあります。
大きな転換期にいることを感じます。
今までのやり方が通用しない状況の
中、私たちに残された道は次の世代、
これまで付きわなかった生産者との
交流の範囲を広げることです。
絶望を自覚しながらも、希望を持ち
続ける道です。
東京近郊での農業は、税金の高さと
いう問題がありますが、野生の動物の
食害はありません。
また野菜を運ぶ距離も短いため、収穫
してから店頭に並ぶまでの時間が短く
送料も必要ありません。
生産者の顔を知っているという安心感
や互いの信頼もあります。
今後、晴屋の店頭には東久留米産の
野菜が並ぶことが増えることになると
思います。
次の世代の充実した農業の継続の
一助となることを願ってやみません。

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