旬の音楽 梅雨時のショパン

梅雨時のショパン
ショパンは、チャイコフスキーとともに
もっとも苦手な作曲家でした。
何がいいか分からないだけでなく、不
快で、嫌悪さえ感じます。
しかし嫌いと好きは紙一重であり、一
つの面の裏表なのでしょう。
中にとても惹かれる演奏があります。
ぺルルミュテというフランスのお爺さ
んの弾く味のあるショパンにまだ少年
だった私の心が安らぎます。
特に「舟歌」はお気に入りで飽きずに
繰り返し聴きました。
アラウというピアニストのショパンも好
きでした。
嫌悪と、心の奥処の安らぎと、一人
の作曲家に対する対照的な感覚の
違いを理解するのに20年以上の月
日が必要でした。
どうも私は感受性が鈍くて、すべて
に奥手のようです。
ショパンは意外と古い時代の音楽家
です。
ベートーベンの活躍していた時代に
は、すでに生まれていました。
音楽だけでなく、文章や漫画の才能
もあり、子どもの時にはとても陽気で
活発な少年だったそうです。
戦禍で故国ポーランドを追われ、生
前は帰ることができませんでした。
今は心臓が教会に安置されています。
パリでの華やかな生活で、派手なイ
メージがありますが、実際は物静か
で、病弱であったせいもあり、繊細で
とても傷つきやすい性格でした。
ショパンは自身をモーツァルトの後継
者と思っており、古典的な調和の世界
を目指していました。
しかし同世代の作曲家で評論家のシ
ューマンの「花束の中に大砲を隠し
た音楽」という言葉の通り、激しい感
情を秘めていました。
しかしそれはあくまで秘められたもの
で、決して表面だって主張するもの
ではありません。
ショパンは響きと、間の作曲家です。
音の響き合いの中に微妙なニュアン
スが生まれ、その響きに身をゆだね
る時、霞の中から美しものが立ち現
れ、希望や絶望を超えたところにあ
るものを感じることができます。
私が大多数のショパンの演奏に感じ
る嫌悪感は、この響きを無視して、音
のアタックを連ねて、ほとんどヒステリ
ー的にショパンの本来「内向」してい
るはずの激しさだけを追い求めてい
るためです。
このことに気づくのにずい分と時間が
かかりましたが、好きと嫌いは正に表
裏一体であり、好きなものが本来の
状態でなく許せないのが嫌いなのだ
ということを気がつく機会となりました。
食べ物でも嫌いだったものが、晴屋
のものを食べて大好きになる方が多
くいます。
好きに近いから許せないのであって、
まったく関係ないことには嫌いとも感
じません。
コロナ禍で重たい閉塞感が続く毎日、
ショパンの内に秘めた集中と心根の
やさしさが身に沁みます。
梅雨時はブラームスを聴くことが多か
った私ですが、今年は断然ショパン
です。
おすすのピアニストは前述のぺル
ルミュテ、アラウの他、ルイ・ロルティ
やアンスネス、ブレハッチです。
女性ではメジューエワなどいいものも
あるのですが、この閉塞感の中では
心に響きません。
倦んだ心をやさしく何かでつつみ、
新たな芽生えを待ちたい時、静かな
響きに満ちたショパンがおすすめで
す。

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