作る楽しさ耕す人たち その15~18「教育、お産、オーディオ、整体」 子ども園の吉良さん さかもと助産所の坂本さん オーディオ評論家の江川三郎さん 整体指導者の佐々木正則さん

作る楽しさ耕す人たち
その15 子ども園の吉良創さん
教育が紡ぐ身体と感性
東久留米の水源であり、清流にしか
棲まないほとけどじょうもいる、緑豊か
な南沢の湧水。
シュタイナー教育の流れを汲む幼児
教育を実践している子ども園は、その
近くにある。
晴屋でも開園当初から、食材の注文
を受け、届けている。
吉良さんは、ドイツ・ヴッテンにある
シュタイナー幼児教育者養成学校で
教員としての研修と、シュタイナー特
有の楽器ライアーの演奏も学んだ。
帰国してから、生まれ育ったひばりが
丘の近くに子ども園を作り、現在も園
の教員を続けている。
背は高くないが、意外にがっしりした
体躯だ。
整体を少しかじっている私から見ると、
稀に見る体力としぶとさを持っている。
普段のソフトで穏かな表情からは感じ
られない、芯の強さがある。
幼児教育の持つ意味から聞いてみた。
「幼児期最初の7年間ていうのは、織
物でいうと縦糸を張る時期。小学校の
時期はカラフルな横糸を張る時期。
でも、いい布が出来るかどうかってい
うのは、縦糸がしっかり張られてなくち
ゃだめだ。それで次の時期は織りあが
った布を切って縫って、大人になって
それを着て生きていくんです。それを
ずっと着ていく時に、すぐに穴だらけ
になっちゃうのもあるし、だんだん馴染
んでいく人もいる。」
シュタイナー教育ってなんだろう?
「子どもの成長発展にふさわしく接し
ていく。乳幼児期の子どもは真似をす
る存在だから、大人が手本を示してい
くということ。」
その中での幼児教育の位置は?
「身体を作ることです。体という自分の
家に一生棲んでいく。」
言葉は具体的にどう使うのだろう?
「意味を持たせて使う言葉と、単なる
おしゃべりは違う。小さい子がブランコ
に乗ってる時に、「危ないからしっかり
握っていなきゃ、落ちて怪我するでし
ょ、ちゃんとつかまってなさい」とくどく

ど言っても伝わらない。情報として、
目の前で「ギュッとにぎってなさい」と
いう言葉の力にその仕草を合わせる
ことで言葉と子どもが結びついていく。
自明の事を、全身全霊で伝え、言葉
と状況が結びついた時に伝わる。子
どもに接するときは、抽象的な言葉は
できるだけ使わない。目の前で実際に
具体的に行為する。言葉でなく行為で
導く。子どもは動いている存在だから、
言葉が入ると、動きが止まってしまう。
子どもによっては、先にこれからこうな
ると言ってからの方がいい子もいるけ
ど、でも大体の子には論理や因果関
係は極力言わない。子どもには、今す
べきことを端的に伝えた方いい。
言葉が少ない分、言うときは、口先で
は言わない。言ったときには、それし
かもう可能性が無い。「でもどうのこう
の」って子どもが言ったときでも、動か
ない。壁になれる。それで動いちゃっ
たら、また動くんだなと思われちゃうし
ね。
発する言葉とその人が結びついてい
るかいないかっていうのは、今の子ども
は確実に見抜きます。社会的に言って
おかなくっちゃという言葉と区別して、
物を見極めた言葉はちゃんと伝わり
ます。昔は親や先生の権威で子ども
を従わせていたけれど、今の子どもの
方が進化している。今の人間の方が、
表面的には悪いことが出てきている
けれど、ずっと進化していると思う。
人間は常に進化し続ける存在だと思
う。」
話す言葉が緻密で、隙が無い。
自分の確固たる世界があり、他人が
入り込む余地は無さそうだ。
何かにとりつかれ、凝り固まってそうな
っている人は多い。
吉良さんの場合は、目がつまった柔
軟な構造が構築されている。
私が感じられるのは、ごく一部にすぎ
ない。
ただ、感性と知性で織り込まれた世界
が深く存在することを感じる。
今回のインタビューをしてみて、私は
吉良さんのことを理解していない、とい
うよりは理解出来ないことがよく分かっ
た。

しかし、録音したテープを何度か聴く
うち、気が付かなかったことが少し見え
てきた。
「ギュッと握って」という言葉には、ちゃ
んと力を込めて全身全霊に近い感覚、
私風に言えば気合を込めて、発して
いる。
吉良さんにとって私は、気楽なことし
か話さない顔見知りにすぎないが、
インタビューのそこここに真摯さや誠
実さを現していた。
自分の感性への健全な執着と、人間
への信頼、教育の効果への自信も、
垣間見れる。
吉良さんのお父さんは自由学園の有
名な教師だった。
吉良さん自身もその教えを受けた、
自由学園の出身者だ。
縦糸がしっかりしているというか、いい
意味で育ちの良さをがある。
私は、子育てについてほとんど語った
ことが無い。
自宅出産したり、私なりに一生懸命
子育てしてきたけれど、まだ結果がで
ていない。
4人いる子どものうち、一人は独立して
子供もいるが、後の3人は自分の生き
る場所や術を見つけていない。
次の世代が次の世代を育てるように
なれば、子育ては成功したと思える
だろう。
しかし、吉良さんは自分が選んだ方法
に確信がありそうだ。
シュタイナーのセオリーで育った大人
たちを目の当たりにし、また自分が受
けた教育の力も信じられる。
私のように、社会や教育に対する不信
から出発した発想とは全く違う。
その下地の上に、自分ならではの世
界がくみ上げられている。
コンプレックスや、その反動でのプラ
イドが無いのは、育つ途中での感性
のボタンの掛違いが無いからだ。
吉良さんには人間の内の動きが見え、
それを動かす言葉を発することが出
来るという才能があるように感じる。
その力を幼児教育に注いでいる。
もっと現代的な他の仕事でも楽にこな
せるだろう。
持って生まれた力をよりよく生かすの

に、教育というものがどれだけ大切か
身を持って示している。
もちろん、何の不満や屈折無しに育つ
ということはありえない。
学生時代はサッカーとロック、特にキ
ーボードの演奏に夢中になった。
三十年くらい前だから、そんなことに
一生懸命な人はほとんどいない。
人と同じはいやなのだ。
学校を卒業しようという時にも、人と同
じでなく、親とも違う仕事とということで
選んだのが、シュタイナーの幼児教育
だった。
キーボードの趣味はそのまま、ハープ
の一種で自然な響きを生かしたライア
ーという楽器に結びつく。
ライアーの名手としても、その世界で
評価されている。
試行錯誤したことが、真っ直ぐに人生
に生かされている。
資質といい、育ちや経歴といい、今の
仕事は天職であるかもしれない。
天職は与えられるものでなく、作るも
のでもある。
そういった意味では、次の世代にどう
伝えていくかで、吉良さんの真価が問
われることになるだろう。
私も若いとき、数冊の本を読み、シュ
タイナーの世界に少しだけ近づいた
ことがある。
シュトットガルトから来たオイリュトミー
というシュタイナー独特の舞踏のよう
なものの公演にも行った。
強い集注に支えられて、美しく力強
かった。
ゲルマン民族の強い肉体と明確な感
受性の上に成り立っている。
日本人の柔軟性や懐の深さといった
感覚とは異質のものだった。
シュタイナーをヨーロッパ文明の最後
の華だと思い、素晴らしいと思いなが
ら私は別の方へ向った。
私の狭い知見の範囲だけれど、日本
のシュタイナーの信奉者たちは理念
が先に立ち、身体が付いていってい
ない人が多い。
その中での吉良さんの雰囲気は違う
ものがある。
ヨーロッパに対する憧れのような、地
に足の付いていない感覚が無い。

極めて日本的な感覚、外に向う集注
でなく内に向う集中の感覚が強い。
集注は能率や効率を求め、時に排他
的になる。
集中は全体をあるがままに感じ、瞑想
と覚醒を同時にしている。
「ギュッと握ってなさい」という言葉を
発する時の気合は武芸者に近い物
を感じさえする。
その感覚でシュタイナーを日本で生
かしていったら、今までに無いものが
できるかもしれない。
縦糸をしっかり張った子どもたちが、個
性を伸ばし、花を咲かせ、実を付ける
時はいつになるのだろうか。
最後に理想の教育とは何か、聞いて
みた。
「どの先生も、その子を育てるのは初
めてなわけですよね。出来るかどうか
分からないけれど、それぞれの子ども
に相応しい、子どもがどう育っていき
たいかということに合わせた教育です
ね。」
子ども園では、一般の人向けの勉強
会や体験の会も開いている。
興味のある方は、ホームページを見
て下さい。
http://www16.ocn.ne.jp/~msteiner/
ライアーに興味のある方は
http://leier.web.infoseek.co.jp
(この文章は2006年(晴暦26年)9月に晴屋通信に掲載したものです。)

現在吉良さんは子ども園の運営に携わりながら、滝山シオン保育園の

園長として活躍しています。

 

 

 

 

 

作る楽しさ耕す人たち   その16
 さかもと助産所の坂本深雪さん
 満ちる月、充ちる生命
小金井街道から奥に入った住宅地の
どんづまり。
普通の家にしか見えない、地味な作
りだ。
しかし、中は意外なほど広々とした、
快適な空間が広がっている。
グリとグラの絵があって明るい雰囲気
だが、ポップさよりは澄んで静かな気
を感じる。
ベランダからは、黒目川の遊歩道の
緑地が伸びやかに広がり、桜の木々
に季節のうつろいを楽しめる。
望んでも、なかなか得ることが難しい
素晴らしいロケーションだ。
東久留米のさかもと助産所はまだ長い
歴史は持ってはいない。
しかし、坂本さんは、草分けの三森さ
んや、もはやカリスマといえる国分寺
の矢島さんに師事し、昭和病院をはじ
め公立の病院で助産婦をしていたベ
テランだ。
それでも、まだ41才。
この年でそれだけのキャリアを積むに
は、お産との早い出会いがあった。
色彩や空気感を感じさせる感情豊か
な表現で語ってくれた。
「この前気付いたんですけど、私の母
が私を産んだときに悲惨なお産で、ほ
っておかれて、二度と子どもは生まな
いって言ってたんですけれど、妹が欲
しいとか言ってたら出来て、今度はい
い病院で産みたいとか言ってたら、精
神性無痛分娩ていうラマーズ法の前
身なんですけれど、それを取り入れて
いる長橋産婦人科というところで産ん
だんですね。いいお産だったらしくて、
それが記憶の彼方なんですけれども、
叔母が「あんたはお産婆さんになるっ
て言ってたよ」って言うんですよ。
それで、高校の生物の時間だったん
ですけれど、メンデルの法則というの
があったんですよ。ショウジヨウバエで
染色体がこうなるっていうのがあって、
先生が「君たちはタンパク質なんだよ」
って言うんですね。えっ、タンパク質っ
て思ったときに、あの子も、この子も、
って思って、女性の身体に興味が湧

いて、基礎体温を測り始めたんですよ。
それで面白いの、自分の身体が。生
理になるとポンと上がり、ポンと下がり、
波があるの。それで「ギャルズ・ライフ」
っていうヤンキーの雑誌があって、あん
まりひどい内容だから国会で追及され
て廃刊になっちゃうんだけれど、その
雑誌の中で鈴木ミケさんていう人が、
体のコーナーの相談員で出てたんで
すよ。その答えが今までのと違って、
面白くって、こんな相談にのれる職業
に付けるといいなって思いながら、友
達の相談にどんどんのったんですね。
面白いから。でも、友達で妊娠しちゃ
った子がいたんですね。そしたら、今
まで話していたその子が全然違う人
に見えちゃって、こんな時ちゃんと相
談にのれるといいなって思って、だけ
ど、お医者さんでも、看護婦さんでも
ないんですね。そうだ助産婦さんって
思い始めたのね。赤ちゃんが可愛い
とか、出産に興味があってとかじゃな
いんですよ、私の助産婦っていうのは。
それでその後、助産婦について無性
に調べてみるのね。中央図書館に、「
お産の学校」って言う本があって、これ
は凄いと思って、三森さんに電話した
んだよね。「すいません。私、妊娠して
ないんですけど、お産の学校行っても
いいですか?」って言ったら、「ああ、い
いわよ」って言ってくれて、緑色の電話
の前でドッキン、ドッキンしちゃって、
変な高校生だったんですね。それで、
助産婦になろうって思ったんですね。」
本人曰く、「中学時代は劣等感の塊り
で、おちゃらけた高校に入ってしまっ
た」。
そこから看護学校に入学するには、
相当ハードに勉強したに違いない。
けれど、自分が苦労した話は一切出
てこない。
どんな助産婦を目指しているのだろ
う?
「極力普通の人でいるっていうことで
すよ。要するにカリスマにならないって
いうことが仕事上の信念なんですね。
助産婦って、たかが助産婦って思って
るんだよね。世の中で大切な仕事なん
てたくさんあって、助産婦はたまたま命
の現場にいて、重さがある仕事なんだ

けど、世の中いろいろな仕事があって、
助産婦より凄い仕事もたくさんある。」
信念が強く、動かしがたい事実以外
は感じて欲しくないと思っているようだ。
謙虚というよりは、人間として生きる上
での意地や、助産婦としての誇りを感
じる。
昔とお産の仕方が変ってきたというこ
とはあるのだろうか?
「三十年前、三森さんの時代は、自分
のケツは自分で拭くってう命の持ち方
ですね。今のお母さんたちは、共依存
関係になりたがる人が増えてきてるか
な。でもだめだったら、私ゴメンナサイ
出来ないって言っちゃう。その中で私
の言葉を受け止めてくれる人は、自分
で力を出せる人なんですね。変な話、
リスクのある仕事なんで、すごい生意
気な言い方なんですけど、今の時代
に自分の好きなお産の出来る人は、
自分で立っている人なんですね。
私が相手に何かを伝えたいと思った時
に、相手が自分で気付かなかったら、
変わらないじゃ無いですか。気付いて
もらえるよう努力はするけど。」
坂本さんには、中学生の男の子と、
小学生の双子の女の子の3人の子供
がいる。
自分のお産はどうだったんですか?
「矢島さんのところで産んだんですけ
ど、私は予定日より二週間以上すぎる
んですよ。頭ががちがちに緊張してた
かな。それで、痛いんですよ。子供み
たいに「いたいんです~」とか言ってた。
それでも、カリスマといわれる矢島さん
が何をするか見てみたい。手を見たい
んですよ。」
一人目は自然育児にはまり、いいと言
われるものは全てやってみた。
保育園にも要求をいっぱい突きつけ
た。
その後の双子の時はそんなことは言っ
ていられず、「何でもいいから預かっ
て」という感じになった。
晴屋と出会ったのはその頃だ。
「保育園で松橋さん(私)の奥さんに、
話を聞いてもらうと「そんなこともあるわ
よね~」って受け流してくれるんです
よ。力が抜けて楽になった。
何年か前に「食べ物を良いとか、悪い

とか言うのは不遜だ」って松橋さんに
言われたんですね。(本人は記憶が
無い)十年前の私だったら、でも、とか
言ってたと思うんですけど、その時スト
ンと言葉が落ちたんですね。来る人を
あるがままに受け入れなきゃいけない、
っていうか。商売だしね。あんまり窮屈
じゃなくて大丈夫なんだなあとか。自
分が子供育てるときになんか、こだわ
りを持ったとか無いんですけど、子供
見てたら育つんですよね。すごく可愛
いいもの。うちの子、いい子なんです
よ。あり難いっていうのかな。子供って
無条件に愛してくれるじゃないですか。
絶対的信頼感とか、そういうものを交
換できる相手だなっていうのが、換え
がたいっていうか。その中で、いいとか
悪いとか言うのは不遜だなっていうの
が、その言葉なんですね。」
さかもと助産所では、入所している人
の食材を晴屋でまかなってくれている。
お客さんの中でも何人かそこで産んだ
人がいる。
何を好きかも分かっているので、ほん
の少し差し入れをしたりもした。
「嬉しかったですね。こんなところで、
繋がっていて、見ていてくれたんだな
あって。
赤ちゃんが入院している時の(助産所
の)空気って小さいんです。空気が細
かく震えている。ドヨーンとしていない。
玄関抜けただけで、お話しているみた
いな感じですよ。
来る人もいろんな人がいて、思想、宗
教、信条違う人が隣で仲良く話してる。
死というのはいろいろあるけれど、生ま
れるっていうことを喜ばないものは無い
ですよね。」
助産婦をやる楽しさは?
「人が変っていく姿かな? その面白さ
は、なんたることかっていう感じですよ
ね。だから来た人を嫌いになれない。
いろいろ文句はあるんですよ。でも、
楽しいんです。人間が好きなんです」
さかもと助産所はホームページを持っ
ている。
何故感想文を載せないのかとみんな
に言われるそうだ。
「そういうのは、嫌なの。はじめから、
感動求められても困るし。いっしょに

何かやって、達成するのがいい。」
一見素っ気無く、自分の色は前面に
は出さないと言いながら、溢れ出てく
るものは止まらない。
単に優秀な助産婦というよりは、矢島
さんの次の世代を担う、新しいタイプ
の「お産婆さん」の出現だ。
矢島さんを含めて自宅出産経験が四
度ある私だが、この人とだったら真剣に
出産と向き合えると思った。
出産や育児の相談も受け付けている。
連絡先は、042-471-0388 。
ホームページはhttp://www.cam.hi-h
o.ne.jp/sakamoto_miyuki/。
(この文章は2006年(晴暦27年)10月に晴屋通信に掲載したものです。)

 

 

 

 

作る楽しさ耕す人たち   その17
オーディオ評論家 江川三郎さん
創る楽しさと切り詰めて到る豊穣
「畑違い」という言葉がある。
野菜や食べ物を扱う私達八百屋と、音
楽を聞くための道具であるオーディオ
の評論をする人では、随分と遠いイメ
ージを持つ人も多いだろう。
しかし、常識に捉われずに新しい事を
追求し、作る楽しさと生きる充実を求め
るという意味では教わることも多く、共
通点もいろいろとある。
私が生きる先達として、文字通りの意
味で「先生」と呼んでいるのは、整体の
佐々木先生と、この江川三郎さんしか
いない。
江川三郎と言う名前は、一般の人には
あまり知られていないが、国内よりは海
外での方が有名かもしれない。
オーディオの世界で、様々な問題提起
をして、多大な影響を与えている。
電源やスピーカーの接続のケーブルで
音が違うといい始めたのはこの人だ。
コンセントの差込の方向でも音の差も
言い当てた。
それまでは、そんなことはあり得ない事
と、誰も気付きも言い出しもしなかった
事を感覚で探り当て、抵抗を押して、
問題を提起する。
今では科学的にも証明され、高級オー
ディオの製品の差込プラグには、必ず
接地側の表示がされている。
勇気を持った発言が業界を動かし、認
知されるようになった。
スピーカーなどのケーブルも、音に違
いがあると理解されると、様々なメーカ
ーが飛びつき、1mで数万円もするよう
な太くて凝った作りの物まで現れた。
しかし、その動きにも江川さんは警告
を発する。
太いケーブルが本当にいいものなの
か?
そんなにバカ高いものが本当に必要
なのか?
こうした態度は、少しでも高いものを売
ろうとするメーカーからは敬遠されるこ
とになり、国内や雑誌では冷遇される。
しかし、海外の有名なメーカーの社長
や技術者は江川さんを訪れ、知識を
吸収しようとする。

それでも向う方向はどうしても太くて
こもった音だ。
「彼ら(欧米人)は、穴居(洞窟)生活
が長いから、こもる音が好きなんだ。そ
れが音の好みに出ているんだ。」と、
低く張りのある声で、バッサリ切る。
例によって、晴屋の台所で、よく食べ
よく呑み、よく話す江川さんとのインタビ
ューは、オーディオの原点から聞いて
みた。
「昔、鉱石ラジオというのがあったんだ
よ。天然の石だよ。その表面を針で探
るとさ、天然のダイオード効果で、ワー
ッと音が出てくる場所があるんだ。戦争
中(太平洋戦争)、東部軍管放送って
いうのがあって、空襲の情報収集って
いうのが、オーディオの始まりだね。
終戦の時、中学生でそれから高校と
ずっと神田(秋葉原)通いしてさ、ラジ
オが貴重な時代で、僕みたいな素人
が作っても売れるんだ。」
その頃のオーディオ仲間で同級生に
菅野沖彦という人がいる。
この人もまた著名なオーディオ評論家
だが、好みは対照的で手の込んだ高
級品しか認めない。
大きな会社の重役の息子で、お小遣
いに不自由したことはなさそうだ。
「他人のこと羨ましがってたらさ、人間
ていうのはさ。
限られた中でなんとかしようっていう気
持ちがあったと思うよ。
同じ事をするのが面白くないんだよ。
出てきた時に音が気に入らないのを、
お金で解決するんじゃなくてね。
ぼくはかなり早い段階でケーブルの事
を言い出したよね。」
昔、ローサーというスピーカーがあった。
導線に銀を使っているものがあり、音が
良かった。
それがどうしてなのか追求しだしたの
が、ケーブルの研究のとっかかりだ。
生演奏に接する経験の豊富さもあって、
感覚で感じたことを率直に知的に展開
し表現する。
頭で作った既成概念や妄想に捉われ
て感覚が曇ることが無い。
右脳と左脳が常に連動して動いている
感じがする。
少年のときめきや閃き、悪戯っぽさを

秘め、かなり高齢の今も若々しさを失
わない。
過去を振り返ることも無いから、自分を
権威で守ろうともしない。
普通この位の高齢のお年寄りなら、「
私はこれだけのことをやってきた、これ
だけの人間だ」と主張しそうなものなの
に、私だけでなく誰にでも、気さくで柔
らかく前を向いている。
誰でも自分の「音」を持っているが、江
川さんの「音」は、余分なものが徹底的
に切り詰められ、研ぎ澄まされている。
耳に刺激のあるうるささや、音の響きに
頼った曖昧さが無く、微妙なニュアンス
や音楽の骨組みが聞こえる。
私には時として、あまりの情報量の多さ
のため、音楽に集中出来ないほどの
豊穣さなのだ。
そして、比較的廉価で良質な製品を
徹底的に使い切る。
音色の個性や、低音の量感などで誤
魔化した高級品とは対極の世界だ。
しかし、オーディオが文化としてなかな
か本当に成熟しないのも、道具として
完成せず女性に受け入れられないの
も、まだまだ余分な要素が多いからだ
と、江川さんの追及は続く。
「松橋さん、私は生涯をかけて、モノラ
ルを広めようと思っているんだよ。」
オーディオ装置の代名詞にもなってい
るステレオという言葉は、本来「うり二
つ」というような意味だ。
それが右と左、二つの同等の装置で
音が出て情報量が多くなり、スピーカ
ーの間の空間だけでなく、より広い音の
再生が可能になったと思われている。
しかし、それでは空間情報が多くて、
本来の音楽のダイナミズムが感じられ
ないと江川さんは言う。
モノラルは、一個のスピーカーから、
一つの音だけを出す。
その方が、音楽の立体感や生々しさ
が、感じられるというのだ。
また、常識に真っ向から立ち向かおう
としている。
私もスピーカーの中央で音を聴くと頭
が痛くなることがあるので、左右のスピ
ーカーの外側で聴くことが多い。
何気ない行動に意味があると分かり、
納得する。

作る楽しさについても聞いてみた。
「人間に元々あるもんじゃないの。
創造の創だよね。
全く同じものでも、自分なりのものを創
るうれしさだよ。
創るって言ったって、別に財産が失わ
れるわけじゃない。
やればいいんだよ。」
全力で向って、悔いを残さない。
だから失敗しても、また次に向える。
何度かお邪魔したことがある江川家の
広い居間は実験場だ。
工具や材料など、私には興味津々の
ネタが所狭しと積み重なっている。
小じんまり、まとまろうとはしない。
健全で、陽性の混沌だ。
ここは、「江川工房」も兼ねている。
業界に思う製品が無いと、自分で製品
化して「江川工房」の名で、手が込ん
で量産に向かない手作りの製品を提
供している。
私の江川さんとの付き合いは10年以上
前、秋葉原で毎週開かれている「イベ
ント」と呼ばれている勉強会でだった。
オーディオ装置を売っていた経験もあ
り、スピーカーの自作もする私の「耳」
は、江川さんに買われているようだ。
今回のインタビューの時、新発売のケ
ーブルを持ってきた。
「松橋さん、これ置いていくから、試聴
して、評価してみてよ。」
頼りないほど細い無方向性の無酸素
銅の銅線に金コロイドという粒子を塗っ
て、固いビニールで皮膜し、よじってあ
る。
価格はピンケーブル1mペア、スピー
カーケーブル2mペアそれぞれ2万円
弱!!
何日か後に試してみて、驚いた。
低音が締まり、高音のうるささやざらつ
きがとれた。
まるで別物ように軽々と深く音が出て、
音楽が息づいて聞こえる。
返さなくてはとケーブルを外そうとした
が、もう我慢出来ない。
早速その場で電話して譲ってもらうこ
とにした。
オーディオ製品は、レベルを上げよう
とすると大体10倍の価格を出さないと
納得できるレベルにならない。

私の小遣いには高価な買い物だが、
定価18万円の私のアンプが、数倍の
レベルになると思えば、効果の割には
安いといえる。
今までの、様々に工夫された高価なケ
ーブルたちが、全て小手先のごまかし
にすぎなかったと思える程、交換した
時の音の差は歴然だった。
というわけで、私はすっかり江川先生に
、してやられた。
けれど、新しい発見と接する喜びがあ
る体験は楽しい。
批判精神を持ちながら、否定ではなく、
何かを作って解決する姿勢があるから、
はめられても、悔しいよりは、また次を
期待したくなる。
混沌の中にある意志、切り詰めて行き
つく豊穣。
これからも江川先生のご活躍を望むと
共に、押しかけの弟子として、買わされ
たけれどまた何か勧めて欲しい、そう思
われる八百屋になりたいと思う。
江川工房に興味のある方は、インター
ネットで「風雲 江川工房」を検索して
下さい。私のケーブルの試聴の感想
ものっています。
(この文章は2007年(晴暦27年)に晴屋通信に掲載したものです。)

江川先生は2015年に逝去されました。

謹んでご冥福をお祈りするとともに、その業績を偲んでこの文章を

捧げます。

 

作る楽しさ耕す人たち   その18
整体指導者 佐々木正則さん
確かな命 野口晴哉に続く道
私が整体と出合って三十数年になる。
二十代前半で職を転々としながら居
場所を探していた時期だった。
普段は口下手で大人しいけれど絶対
に譲らないわがままな一面もあって、
それなりに悩みもかかえていた。
内にこもることが多かった私だが、整
体法の柱のひとつ「体癖論」を知って、
人間は一人ひとりみな違う存在だと
実感できてから、他人と話すのがとて
も楽になった。
全てを理解することも、全てを理解して
もらうこともありえない。
違うからこそ、難しいしまた面白いと思
えてから、自分の考えを他人に伝える
とっかかりが出来始めた。
身体の無意識の動きを積極的に使っ
て自立性を高める「活元運動」。
互いの気の感応で本来の働きをとり
戻す「愉気法」。
無意識に訴えることで日常の生活か
ら思想までも転換する「潜在意識教育」
など、整体法の理論と実践の範囲は
広く深く、興味は尽きることがなかった。
これらは一人の天才、野口晴哉(偉す
ぎる人物は個を超えた存在として敬称
を略す習慣に従う)によって体系化さ
れ、提示されたものだ。
この世界に触れたことで、酒と文字の
世界に溺れていた頭でっかちの理想
主義者だった私は、現実への足がかり
をえて、前に踏み出すことができた。
誰もが自分らしく健康に生きる力を持
って生まれてきているという整体の主
張に同感し、それは晴屋の基本的な
方向性ともなっている。
そして勝手に野口晴哉の一字をもらっ
て「晴屋」とこの八百屋を命名した。
今回紹介する佐々木先生は、ちょうど
その三十数年前から知っている。
同じ国立の道場に出入りして勉強を
はじめていた。
背は低いが端正な美形で、長い髪を
後ろで結わえていた。
目つきは異様に鋭く、寄らば切るとい
う雰囲気を醸し出し、なんとはなしに
剣豪の佐々木小次郎をイメージして

いた。
私とは体型も、体質も(体癖的にも)真
逆といえるかもしれない。
他者としての野口晴哉への憧れから整
体法にアプローチした私だが、先生は
自分という存在の再確認と深化として整
体法、野口晴哉に近づいていった。
しかし整体協会に既に野口晴哉はなく、
息子たちが後を継いでいた。
「なんだ普通の人ばっかりじゃないか。
野口晴哉という巨人の生き方に興味を
持って入ってくるわけじゃない。野口晴
哉の臭いを感じようとするじゃない。
僕の中で、共通のものを見つけるのが、
この世界に飛び込んだ最大の理由だ
よね。全く共通のものが無かったら、家
族持って、この世界ではやっていない
だろうね。一つ見つけると、ほら、やっ
ぱりそうじゃん。二つ見つけると、ほら、
やっぱそうじゃん。砂漠の中の砂一粒
でも、ほら同じじゃんと。」
先生は個性が強いから色々な軋轢が
あったと思うんですけど、自分が他人と
違っていると感じたのは、いつ頃から
だったんですか?
「それは、違うよ。軋轢と思う人にしか
ありえない。苦労っていうのはさ、苦労
と思う人にしかありえない。」
ジャズ・ピアニストやいろいろなことに
手を染めていたのをなんとなく聞いて
知っている。
整体のために、全てを捨てられたのだ
ろうか?
「その当時はさ、自分は一番だろうと思
ってたから。そういう子だったんだよね。
明らかに一番じゃないんだ、野口晴哉
を見つけた時にさ。それまでは舞踏や
れば舞踏では一番だと思うし、全部そ
う思った。やれたってインチキですよ。
中国産のウナギと一緒だって。ただ、
意識的にやったか、無意識にやったか
だけの話でさ。
それが、明らかに一番じゃないんだ。
大きさも何にも、全然違うじゃん。パワ
ーも。だから、全部パーにして追っか
けて見ようと出来るわけでしょ。」
先生にとって、整体って何ですか?
「命ってなんだろう。生きるって何だろ
うって考えること。」
整体では、勘を重視する。

私にも無いわけではないが、植物のも
のに近い。
動かずに周囲をふわっと見つめ、少し
の移ろいや微妙な変化の中に大きな
流れの兆しを感じようとする。
しかし、野口晴哉や佐々木先生の勘
は違う。
もっと切実で、生々しく、動物的で激し
い。
「勘、一つ。
勘の無い物は全部だめだ。」
手厳しい。
ふと、臭いのことを思い出した。
佐々木先生はよく「大切な自分の臭い」
という表現を使う。
着るものもあまり洗わないようだ。
私は子どもの頃は自分の毛布の臭い
が好きでそれが無いと寝られなかった
が、今では正直言って自分の臭いが
分からない。
「鈍いんだよ。動物で自分の臭いがわ
からないなんて。動物放棄なんだよ。
と思う位、私に言わせれば鈍いよ。
でもさ、だからってそれで死んだ人間
がいるかって言ったら、いないんだよ。
だから、大人になれたんじゃない。私
なんかずっとガキのまんまだって正直
に言ってるじゃない。」
あくまで、動物的だ。
[最近、ナメクジの話をするのが好きな
のよ。この時期になると風呂場とかさ、
いろんな所に出てくるじゃない。この子
たち、どうやって出てくるんだろうって。
ナメクジでも、可愛い顔と、僕が見ても
不細工な顔があるって分かったのよ。
ある時にさ、風呂場にいるナメクジがさ、
こいつ何か愛敬あるなってさ、他のナメク
ジと違う雰囲気があるのよ。でそのままに
しといたら、後で娘が風呂に入って、
「オトーサーン! なめちゃんがいるー。」
で、「良く見てみなよ。そいつメチャクチ
ャ、かわいいぜ。」って言ったら、出て
来た時に、「お父さん、分かった。よーく
見ると、普通のナメクジより可愛い。」っ
て言うんだよ。
人間だけ(健康法とか)、どうしてそんな
ことするんだろう。健康法だなんて言っ
ている動物はいないだろうって。でも、
一言で言って、あるがままに生きるって
いうことは、並大抵の修行じゃできない。

だって、あるがままが何か、分からない
んだもの。」
表現は激しく、突き詰めているが、限
りなく繊細でもある。
冷房の効いた電車にのると、とたんに
動けなくなってしまう。
「他人に聞かれたときは、最近は、私の
好きなのは特定少数。苦手なのは不
特定多数って答えることにしてるの。」
共通の体質を持ちながら、自分の感
覚と世界を広げて整体協会を大きくし
た野口晴哉と、あくまで自分の感覚を
深く追求しようとする佐々木先生では、
行動のパターンは全く違う。
野口晴哉に唯一できなかった、[普通の
お父さん」になることを心がけてもいる。
しかし、二人に共通する命の感覚の
確かさと、その強い感覚を自分のため
でなく、命のために使っていくという姿
勢は変らない。
先ほども書いたとおり私は二人とは違
う、佐々木先生とはほぼ反対の体質を
持っている。
「話の通じない」私は、たぶん甘っちょ
人間と思われているだろう。
長話で疲れさせたとは思うが、終始誠
実に対応してくれた。
それは、野口晴哉や佐々木先生とは
違うが、私が自分の人生を歩んでいる
から、ある意味認められているからな
のだろうと想像する。
ある時に何かの練習中いきなり、「松橋
さん。腹出てきたね。」といつものからか
う調子で言った後、間髪入れずにさらっ
と、「鍛錬の賜物か。」
腰が痛いときに、丹田という下腹にある
体の中心で呼吸し、気をためる訓練を
教った。
そのせいか、怒る時は腹から熱い血が
流れ出して、身体が荒れ狂うのを感じる
し、寒い時もお腹に力を入れるとポッポ
と身体が暖まって耐えられる。
時々は練習している私は、腹に力を集め
られるようになってから、前より少しお腹
まわりがゆったりとなっている。
そういったことを瞬時に感じ、さり気なく
認めて育てる。
信頼できる命の感覚を持っている人は、
残念ながら世の中にそう多くない。
命の深い感覚は、私には理解することが

出来ない。
しかし、それでも生きていけるし、充分に
忙しく、手応えもある。
命の深さを覗くのではなく、私には他に
やるべきことがある。
生きていれば、いいのだ。
与えられた物を生かして全うする以外に
この世に生きている意義は無い。
そのことを再確認させてくれた時間だっ
た。
色々な事を言われながらも、きっとこれ
からも通い続けることだろう。
このインタビューは実は数年前の夏に
すませていた。
「これを出したら整体協会を首になるか
ら、この道場のローンを払ってもらわない
と」と言われ、お蔵入りになっていた。
しかし、無事?整体協会を退職してフリ
ーの立場となったので、パソコンの奥に
人知れずしまってあったものをひっぱりだ
してきた。
これから、より自分らしく研修と修行と
指導の内容を深められていくことだろう。
このインタビューをした日のことを思い出
す。
晴屋に夕方遅く帰ると、北西の空に黒
い雲が湧き出していた。
群馬の方角だろうか、その雲はこちらに
はこなかったが、間もなく今までに見た
こともないような雷の連射が始った。
何百ともいう雷が次から次にきらめき、
眩い光と圧倒的存在感を見せつけ、異
形の雲を映し出しては地の底を照らして
いるようだった。
一時間以上も飽きずに眺めていたが、
こんなに壮大で贅沢なものを見たのは
始めてかもしれない。
無為に使われるエネルギーとしてこれほ
ど無駄なものはないだろう。
しかしそれだからこそ、切実に刹那の
美しさを感じさせる。
私たちの命とこの雷とはどれほどの差
があるのか?
宇宙の長大な流れの中ではほとんど違
いがないのではないか。
それならば、より強く明るく周りを照らす
ものになりたい。
インタビューを終えたばかりの私にはそ
う感じられ、龍の絵に最後に眼を描きい
れるように、この感覚を書き記して、イン

タビューのしめくくりとしたい。

 

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