オーディオの今や昔の話
その1 どこで聴いてるの?
江川三郎は、日本だけでなく世界で
も知られたオーディオの達人だった。
ふつう評論家といわれる人たちは、
製品の評価を生業としている。
江川先生は提案と実験を繰り返し、
オーディオの価値観を本質的に変え、
新しい分野を拓いた革命家に近い
存在だった。
江川先生が言い出すまで、スピーカ
ーなどのケーブルで音が違うなどと
いうことは考えもつかず、「UFO現
象」とか「妄想」として批判された。
けれど今やケーブルで音が変わると
いうのは常識であり、ひとつの専門
分野となって、1mで数万円するもの
まで出現している。
そうした行き過ぎに対しては、余分な
音をつける一種のごまかしとして批
判されていたけれど、新しい地平を
拓いたことには違いない。
それだけにはとどまらず、電源コンセ
ントの差し込む方向で音が変わる、
スピーカーは少なく小さい方が音が
いい、アンプも小出力の方に優位性
がある、LPプレーヤーはダイレクトド
ライブよりもベルトドライブの方が音
がいいなどそれまで常識とされてい
たことを覆し、それを具体的に実証
していった。
反骨の風雲児でメーカーにとっては
少々困った存在ではあっても一目置
かれ、世界中の技術者が注目して
いた。
私も秋葉原の初期のイベントに毎度
参加し、多くのことを体験をもって教
えられた。
そしてその権威にしばられない気さ
くな人柄と、物事を前向きに楽しん
でいく姿から、人生の生き方の師で
もあったというべきだろう。
その先生があるとき、「松橋さんは何
処で音を聴いてるの?」と質問された。
オーディオの教科書にはオルソン式
といって、スピーカーを2点の底辺と
する正三角形の頂点の位置で聴く
のが最良とされている。
ところがそこで聴いてると何故か落ち
着かない。
長い時間聴いていると疲れてしまう。
それで私は比較的間隔を狭めて置
いた2本のスピーカーを底辺とする
長方形の少し外側で聴いている。
こうすると片側の音を主に聴くことに
なるけれど、音場の立体感は感じと
ることができるし、何より聴いていて
疲れることがなくなる。
こんなことを先生に伝えると、「そうな
の、ぼくもそうなんだよ」と言われた。
この感覚を持っている人は少ないの
かもしれない。
ステレオで音楽を聴くのに緊張や刺
激を求める人もいるだろう。
けれどゆったりと音の響きを楽しむの
には、この方にずっと優位性がある。
常識に捉われず、自分の感覚でより
よいものを探りあてている者同士の
連帯のような感覚がそこにはあった。
この現象を私なりに言葉にしてみる
とこうなる。
自然の音や楽器の音は、一点から
発して丸く均一に広がっていく。
モノラルは一個のマイクで録音し、一
個のスピーカーで再生する。
ステレオというのは同じものという意
味で、ひとつではなく2個の同じもの
で録音し、再生するということだ。
それによって左右の広がりや奥行き
が表現できるようになった。
けれど元々一つから出たものを二つ
のマイクでひろい、音の大きさや時
間差の微妙な違いで左右の差を表
現するのだけれど、本来は一つのも
のを違う場所で録った二つの別のも
のとして再生するとき、それはまった
く同じものではない。
水面に広がる一つの波紋を、別の場
所からの二つの波紋で再現しても同
じものにはならない。
私たちの耳や頭はそれなりに優秀な
ので、頭の中で組み立てなおし、左
右の広がりや奥行きとして理解して
いる。
けれど本来のものではないため、ど
うしてもストレスを感じ、疲れてしまう。
演奏者の息吹きを感じる音の微妙な
ダイナミズムを常に求めた先生には、
これがどうしても納得のいかないこと
だった。
晩年には「ぼくは生涯をかけてモノラ
ルを広めていこうと思っているんだよ」
とまで言っていた。
モノラルには左右の広がりはないけ
れど、音の奥行きや存在感はより明
確に感じることができる。
私のような凡人には及びもつかない
情熱と創意がそこにはあった。
けれど今のオーディオの世界にその
熱意を感じることはごく稀にしかない。
ごくごく一部の人しか興味を持つこと
がないオーディオの世界だけれど、
安っぽい申し訳程度のものか、やた
ら大げさで自尊心を満足させる手段
としか思えないものが幅をきかせて
いる。
世の片隅で、少数の人たちにしか伝
えられないことではあっても、音を愉
しむためには貴重な情報となることを
書きとめ伝えるのも、古びた人間の
使命であるかもしれない。
時代遅れのものの中に実は真実が
隠されていることもある。
みなさんの音の楽しみに少しでも参
考になればいいのですけれど。