オーディオの今や昔の話 その2 山椒は小粒で

オーディオの今や昔の話
その2 山椒は小粒で
「Small is beautiful=小さいこと
は美しい」という言葉は、シューマッ
ハという経済学者が提唱したそうで、
それなりに聞くことが多いので西欧
では一般的な概念かと思っていたの
だけれど、実際はそうでもないようで、
彼らの常識とはあまりにかけ離れて
いるのでインパクトが強く有名になっ
たようだ。
けれど日本には昔から小さくて、美し
く、精巧なものを愛でる美意識があり
綿々と続いていた。
それが時計などの精密な機械や、
小型で高性能の電気製品を生み出
す土壌となっていったのだろう。
けれどスピーカーなどのオーディオ
製品に関しては小さいものは、仕方
なく我慢して使っていると感じている
人が多いように感じる。
原理的に言うのなら、スピーカーは
小さい方が圧倒的にいい。
大きくて立派なものは、プライドを満

足させる手段とはなっても、生の音を
きちんと再生するという本質からは離
れてしまっている。
クラッシックなどのアコースティックな
楽器の音を録音するとき、録音の現
場では主に、数10センチの間隔に
置かれた2個のマイクで録音する。
決してホール全体の音を記録してい
るわけではない。
そしてマイクの口径は約2センチほど。
だから2センチの口径のスピーカー
を数10センチの間隔で音を出せば、
元の音にかなり近くなる。
けれどそれでは高音は出せても、低
音はほとんど聞こえないし、音量もと
ても小さい。
低い音をだすためには空気をたくさ
ん動かさねばならず、大きくて重たい
コーン紙と呼ばれる振動版を大きな
振幅で動かさなければならない。
けれど大きなコーン紙は重たいため
に動きが鈍く、素材の固有の共振音
といわれる音のクセが大きくなる。
大きなスピーカーは高音にはまった
く対応できないので、別に2個、3個
と中高音用のスピーカーが必要に
なる。
それによって低音も高音も出るように
なるし、音量も上げられるようになる。
けれど、元もとひとつのものを分けて
音をだしても本来のものと同じには
ならない。
重く、固く、動きが鈍い上に素材の
固有音が加わり、こもったり、特有の
響きが音に加わったりする。
それをごまかすために、低音や高音
の特定の音を強調して音のメリハリ
を演出する。
いたちごっこといってもいい状態で、
音はますます本来のシンプルで伸び
やかなものではなく、硬くこわばって、
やかましいものとなる。
つぎはぎで、低音と高音が強調され
た、いわばフランケンシュタインのよ
うな不自然な状態だ。
けれど視点を逆転させて、低音や高
音はある程度でればいいけれど、音
楽の中核となる中音をきっちり再生
できればいいと思いきると、そこに違
う世界があらわれる。
そして音のダイナミックさということで
言えばむしろ小さいものに歩がある。
人間の感覚は精妙にできていて、小
さな音にも反応し感じることができる。
だから良質なものであれば小さな音
の中にも音のダイナミズムは充分に
感じることができる。
けれど壊れたつぎはぎの音では感じ
ることが少ないため、音の細かなニュ
アンスを求めてますます音量を上げ
たくなる。
私の感覚ではスピーカーは4~8cm
の口径のシングルコーンといわれる
1つのスピーカーで全帯域をだす、
フルレンジというタイプの良質のもの
がいいと思う。
そしてそれでどうしても満足できない
場合は20cm口径のウーファーと、
ツイーターとよばれる高音用のスピ
ーカーを組み合わせた2ウェイという
タイプをおすすめしたい。
このくらいの大きさの2ウェイなら、慎
重に良質のものを組み合わせれば、
音楽の基音をウーファーにまかせ、
倍音をツイーターに再生させること
で、つながりの良い、自然な音をだ
すことができる。
音楽を日常の範囲で楽しみ、あきず
に生活の一部としてとりいれ、より積
極的に自らの暮らしをよりよいものと
しようとする人たちには、これ以上の
ものは不要と言っていいと思う。
コンサートのPAといわれる、大きな
音をだし、威圧的な音で迫力を演出
するものを好む人が確かにいる。
内的なエネルギーの屈折を解放す
るカタルシスではありえるだろう。
けれどそれはあくまでひと時の満足
であり、不快をごまかす手段であっ
て、本当に心に響き一生付き合える
ものではない。
生の音はクリアなのに、限りなく柔ら
かい。
大きなものに憧れる幻想を捨て、小
さなものに美しさを感じる文化が育
たなければ、オーディオは本当の文
化にはなれない。
今のオーディオの退潮は、こうした
文化が本当には育っていないため
であり、オーディオ評論家や一般の
オーディオマニアの責任には大きな
ものがあると思う。
山椒は小粒でピリリと辛い。

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