オーディオの今や昔の話 その7 約束の音

オーディオの今や昔の話
その7 約束の音
最近また、レコードの音を聴く機会
が増えている。
レコードという言葉も死語になりつ
つあるけれど、以前は音楽を聴く
としたらまずこれだった。
黒いビニール盤に無数に溝が刻
まれていて、光によって円形の筋
が虹色に輝く。
私がオーディオに興味を持ち始
めた50年ほど前には、カセットで
はないオープンリールのテープ
か、FM等のラジオ、そしてレコー
ドといわれる円盤状のディスクし
かなかった。
学業や部活の間にアルバイトをし
て、年に一枚か二枚のLPを買う
ことしかできない中学生であった
当時よりは手に入れられるアルバ
ムの数はふえてはいるけれど、相
変わらず貧しいことに変わりはな
い。
そうして欲しくてもあきらめたオー
ディオ機器もいくつかあるけれど、
もっとも欲しいと思っていた50万
円のアナログ用のアンプがリニュ
ーアル、され進歩したものが20万
円ほどで発売されると、もう気持
を抑えることができない。
アルバイト?で、オーディオ機器
を製作したり、遠方までステレオ
のセッティングに行ったり、手持ち
の機材を売ったりして、細い糸を
たくさん伸ばして獲物を手繰りよ
せる蜘蛛のように、自分の手の内
のものとしてしまった。
それで私は、忙しい時間の中に
レコードを聴いて静かに過ごす
心ゆく時間をすべりこませている
はずだった。
けれど、私に付いている神様はそ
う簡単には無条件の悦びなど与
えてはくれない。
私の頭と身体がイメージする音が
どうしても出てこない。
理想という絶対的なひな型と違う
から納得できないのではなく、私
の感覚がこれは違うと砂漠で水を
求める者のように喘ぎ訴える。
頭ではこれだけのものを使ってい
るのだから、いい音のはずだと思
っても、感覚がこれは違うと言う。
それからの半年は、挫折と葛藤と
格闘の時間の連続だ。
人造大理石を使ったキャビネット
に始まり、モーター、進相コンデ
ンサ、アーム、ケーブル、シャフト、
などあらゆる部品を交換し、吟味
しなおした。
その都度改善されるのだけれど、
まだある一線を越えられない。
最後に信じて疑っていなかった
ディスクスタビライザーというレコ
ードとターンテーブルの振動を抑
えるためのものが原因と、アンプ
の開発者であるフィデリックスの中
川さんの指摘でわかり、一気に目
の前の霧がはれたように音がほぐ
れ、生き生きした表情をきかせる
ようになった。
この時間の経緯を今となっては
貴重な経験として自分の糧にな
ったと感じるけれど、さなかでは
闇の中を手探りで進んでいるよう
で、自分がどこにいるか、目的地
がどこなのかも分からなくなって
しまう。
部品を少しでも変えると必ず音が
変化するのがオーディオなのだ
けれど、変わったからといって良
くなったとは限らない。
欠点を補うためにしたことが、また
新たな欠点を生み出し、音が混
濁して見通しが悪くなり、色を重
ねすぎた水彩画のように光を失っ
ているのに、それを豊かさと見間
違えることは多くある。
何度も基本に戻って、ボタンの
かけ違いを正し、やっと最後にな
って、あるべきものにたどり着く。
約束はされていなかったけれど、
必ずあるはずだと信じていたもの
に出会う悦びはやはり大きい。
人生の目標の中の大きなものを
得たような達成感がある。
それは新しくもあるけれど、とても
懐かしいものでもある。
心地よい音に包まれていると、私
の心は音楽を忘れて流動し、音
からも現実からも離れて見知らぬ
空間を彷徨う。
そして時折音の奔流に帰ってき
て、音楽の美しさに少年のように
心をときめかす。
弦楽器を奏でるときの独特のこす
る音は特に好きで、重奏で音が
調和しながらひとつひとつが手に
ふれられるようにはっきり感じられ
たりすると、ゾクゾクしてしまう。
子どもの頃からこの音を好み、こ
れがどれだけ再生できるかいつ
も考えていたっけなどと昔の感覚
をよび戻していると、年月も空間
も消えて自分をひとつのつなが
る命として実感できる。
自分と向き合うことができる、かけ
がいのない時間だ。
50年の道のりが一瞬だったような
宇宙の中のひとつの結晶としての
命の感覚だ。
CDの音は目前で鮮やかにきらめ
くけれど、実体を感じられず、感
覚の表面をなでて通り過ぎていく。
LPの音にはボディがあり、いまそ
こで音楽が生まれる新緑の芽吹
きに立ち会っているようなときめき
がある。
どちらがいいというものではない
かもしれないが、心に深く音をし
みこませるにはLPに分がある。
とりあえずのごまかしに逃げずに
道を誤らなかったのだとつかの間
の安堵を感じられるし、また新し
い一歩をふみだす力をえるなど
という経験もアナログのレコード
だからこそえられるものだ。
必然を必然として感じられること
こそ魂の糧となるものだろう。

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