小倉博行さんを偲んで

FM東久留米スタジオでの小倉博行さん

 

 

 

 

 

 

小倉博行さんを偲んで
ボニー・レイットを好きな人だった。
もう50年も現役を続けているミュー
ジシャンだ。
ロック、カントリー、ブルースの要素
を融合し、彼女にしかできない暖か
く、深い世界をつむぎ出す。
ハスキーで情感をたたえた歌声だ
けでなく、スライドギターの名手で
もある。
アメリカに行く機会が多かった小倉
さんが、「大きな自然の中、真っすぐ
で広い道を運転しながら聞くボニー
・レイットは最高なんです」と何度も
言っていた。
小倉さんはもう20年も晴屋に通い
続けてくれたお客さんだった。
私が趣味で続けているオーディオと
音楽の会にも欠かさず出席してくれ
ていた。
また同じ会場の枉駕の料理教室にも
参加し、元々の料理の腕にも磨きを
かけ、味覚の世界も広げていた。
何事にも積極的で前向き、酒も好き
で、人生を存分に楽しんでいるよう
に見えた。
また仕事も早稲田大学でラテン語と
仏語を教え、本の執筆にも携わって
いる。
謙虚で、穏やかで、知的で、感覚も
洗練され、どこに出しても恥ずかしく
ない友人だ。
そんな誰にでも好かれれる小倉さん
だから私だけでなく晴屋のメンバー
も、オーディオの会の常連たちにも
ショックは大きく、胸がつぶれるよう
で、まだ信じられない、信じたくない
感覚が続いていた。
しかし通夜に行き、穏やかで安らか
なお顔に接する機会をえたことで、
次第に現実のこととして受け入れる
ようになってきた。
それとともに私たちが抱いてる小倉
さんのイメージは、持っていたものの
全てではなかったということも分かっ
てきた。
20年に渡ってのお付き合いだった
けれど、プライベートのことはほとん
ど話題にならなかった。
ただ稀にでる話のふしぶしから少年
時代にお母さんを亡くされたという
ことだけは聞いていた。
ご自分が二人の男の子の親となり、
子どもたちのために作る驚くほど
クオリティの高いお弁当をインスタ
にあげるのも、自分の子ども時代に
は与えられなかった楽しみと悦びを
味あわせたいと願ったからだろう。
しかし私は、少し違う側面も感じて
いた。
整体を少し学んでいる私は、人間の
持って生まれた個性と、それをどう
使っていくかという二つの立場から
人間を見る癖がある。
小倉さんは知的に考えを深める静的
要素と、呼吸器が丈夫で行動的で
冒険好き、野心的にもなれる動的な
要素を持っているように見えた。
本来なら出世や名誉を得ることの出
来る力を、家庭での充実に振り向け
ているのだろうと想像していた。
それは間違ってはいないのだろうけ
れど、自己を明確に表現しないので
はなく、表現出来なかったのかもしれ
ないと思うようになった。
奥さんの葬儀でのご挨拶の中の「我
慢する人でした」という言葉にもそれ
はうかがえる。
少し似たところがある私の個人的な
感触では、人一倍感受性が敏感な
博行少年が自分を守るために殻を
作ったように感じる。
音楽の豊かな抑揚、食べ物の美味
しさの豊穣、言語の多様性と原理、
知性の文化と分化、芸術に表象する
人間性などを有機的に体系化し、そ
の内にひとつの世界を作っている。
小倉さんの知力は並みはずれてい
たので、その殻はほとんどの人には
意識されない。
シャイで、内気で、多感な博行少年
が殻にこもるまま、小倉さんは大人
になった。
しかしその世界が完璧である故に、
現実とのギャップはますます大きく
なり、殻も厚いものにならざるをえな
い。
酒もそのギャップを消すことはできな
い。
身体には大きなストレスとなる。
癌の最大の要因はストレスと思う。
けれどそこに風穴が開き、自分の世
界を思う存分に表現する機会があっ
た。
FM東久留米でのレギュラーのゲスト
コメンテーターを死の直前まで続け
ていた。
番組司会者のメアリーさんの大らか
な人柄にも誘われて、縦横無盡に
音楽や語学、その他の広い範囲の
知識を披露していた。
他人には立ち入れなかった世界の
窓が開き、知性と感性を飛びたたせ
る悦びは内なる小倉少年にとって
計り知れないほど大きなものではな
かったか。
奥さんとのお話の中で、「FM(東久留
米)で話せたから何も人生に悔いは
ない」という言葉が印象的だった。
拝ませていただいたお顔の表情は
本当に安らかだった。
55才というまだこれから多くことがな
しとげられるはずの年齢だけれど、
人生を全うされたのだと思う。
私とのかかわりの中では、「しゃちょー
に選ばれた」という言葉が今になって
心に響く。
オーディオの会に誘う人を私は確か
に選んで声をかけている。
好きな音楽は違っていても、互いの
嗜好を尊重し、新しいものに率直に
心を拓く柔軟な感受性を持つ人に
限定している。
そういう意味では確かに選んではい
るのだけれど、表現としては少し大袈
裟だなと感じていた。
そして今回の葬儀に参列し、友人の
少なさが意外だった。
心をひらくことがとても稀な人なのだ
と始めて分かった。
小倉さんを選んだ私は、実は小倉さ
んに選ばれたのではなかったか。
いつも物静かに語り、上目遣いで人
に接する小倉さんの内なる少年の声
をはじめて感じたような気がした。
その声にちゃんと答えることはできな
かったかもしれない。
けれど楽しい時間をたくさん共有し、
FM東久留米への足がかりを作った
ことは、今になっては私の悦びだし、
誇りでもある。
ご冥福をお祈りするとともに、多くの
人と小倉さんを偲びたいと思いこの
文を書かせていただいた。
奥様の里香さんには写真を提供し
ていただき、また私の身勝手な思い
いれのある文章の発表を快諾して
いただいた。
感謝するとともに、社会学の教授と
して今後ますますの研鑽の深化を
願ってやまない。
今の世で二人の男子を育てるのは
大変にエネルギーが必要なことだ
けれど、人間は可愛がって育てれば
大人になって周囲にやさしくできる。
小倉さんの生き方は遺産となって子
どもたちに受け継がれると信じている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボニー・レイット

https://www.youtube.com/watch?v=MAiYZ6KAqyU

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