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ケニーとペデルセンの「Duo」
夏の夜の静けさ
季節の音楽とからだ その12
ケニーとペデルセンの「Duo」
夏の夜の静けさ
ニールス・ヘニング・エルステッド・
ペデルセンは1946年にデンマー
クに生まれたベース奏者です。
ケニー・ドリュートリオ、オスカー・
ピーターソントリオのメンバーとして
活躍し、ビル・エバンスやカウント・
ベイシー、デクスター・ゴードン等
の一流ミュージシャンと共演してい
ました。
私も名前は知っていますが、抜群
のテクニックで、どんな音楽もこな
す器用な人という印象をしか持て
ませんでした。
けれどそれが大きく覆されることが
ありました。
「オーディオの会」は当初江川三郎
というオーディオ評論家を招いての
オーディオの勉強会としてスタート
しました。
もう二十年ほど続いていますが、
次第に音楽や食事や酒を楽しむ
会へと自然に変化してきました。
私の自慢のオーディオシステムで
自分の好きな音楽を楽しみたいと
いう方がCD等の音源を持ち寄って
皆で楽しんでいます。
その会の先月のテーマが楽器の
ベースで、プロのベース奏者でこ
の会にときおり参加してくれる寺坂
英人さんが、影響を受けた二人の
ベーシストを紹介しました。
一人は先進的かつ独創的、天衣
無縫なジャコ・パストリアス。
もう一人が抜群のテクニックとセン
スの良さが光るペデルセンです。
上手いだけの人と思っていたペデ
ルセンの実力に触れて、私自身の
不明を恥じるしかありません。
ペデルセンの参加したケニー・ドり
ュートリオの代表作「ダーク ビュー
ティー」の軽快で切れ味ある演奏
のイメージが強く、それ以上に深く
探ろうとは思いませんでした。
寺坂さんは「歌心」という表現をし
ていましたが、重たく愚鈍な楽器
であるベースが軽々とギターのよう
に歌う。
ただ単に歌うというだけでなく、歌
への希求や音への信頼、生きる
ことへの賛歌も伝えます。
そして決して出しゃばらない。
抑える時は抑え、必要な時興に乗
り、あるいはいたたまれない衝動に
かられ根源を揺さぶるような深い
表現をします。
思わず「芸術的」という言葉が頭を
よぎります。
芸術家と職人、エンターテイナー
はどこが違うか。
基準は人により様々に違うでしょう。
職人はどんな状況でも同じレベル
の作品を作りますが、芸術家はそ
の時の最善の一点です。
エンターテイナーは受け取り手が
主体で多くの人に支持されること
が優先されます。
一人よがりでは芸術とは言えません
が、自身の表現を進化させて確立
し、美しさを抽象的なレベルまで高
める必要があります。
娯楽や職人芸とは違う芸術の世界
です。
暖かく、穏やかに立ち上る音が、
余波を広げ、世界へと広がり、それ
とともに深く心の奥底をゆり動かし
ます。
ごく稀にしか得ることのできない芸
術そのものの力を直観できる瞬間
です。
ぺデルセンとケニー・ドリューの描
く世界は多様です。
瞑想的であり、直截であり、清冽で
あり、素朴でもあります。
アフリカをルーツに、アメリカで生ま
れ、力強さと悲惨と高揚とをあわせも
つ音楽であるジャス。
アメリカの最高傑作の芸術ですが、
そこにはいつもきな臭いものがつき
まといます。
しかしアメリカを逃れたピアニストで
あるケニー・ドリューと、アメリカには
馴染めなかったぺデルセンのかな
でる音は、アメリカとは異なる悲惨
な歴史を負うヨーロッパの多層的
な視点を得て、人間のより根源に
迫る音楽として結実しました。
途中キース・ジャレット風のコード
進行があったりして影響を受けたか
なと思いましたが、キースのケルン
コンサートは1975年1月、厳寒の
ドイツでのライブです。
こちらは1972年春のデンマーク、
コペンハーゲンでの収録でした。
失礼しました。
ウォーキングベースといわれる一定
のリズムを奏でるベースの演奏でも
音楽の土台を築きながら、次の音
を先行して展開を作ったり、アフタ
ービートで感興を高めたり自由自
在です。
伴奏としても、独奏者としても、ある
いはそれを両立する者としても最
上です。
芸術には、とりわけ音楽には、生き
ることを肯定し、人間性を取り戻す
力があります。
ジャケットに写っている二人の笑顔
と後姿は、穏やかです。
そうした二人の音楽と姿勢にふれ、
老いた今でも美しさに心動かされ、
内なる何かを鼓舞する芸術の素晴
らしさに感動できるのは、とてもあり
がたいことです。
夏の夜の静かなひと時、心地よい
疲れの倦怠に身をまかせながら、
遠い時間と理想に思いをはせる瞬
間もいいものです。