「合同句集 けやき」 Ⅰ~Ⅲ

「合同句集 けやき」 Ⅰ~Ⅲ

以前いただいた「合同句集 けやき Ⅳ」に続き、ⅠからⅢ集もいただきました。

みなさんにも楽しんでいただきたく、選んでみました。

「合同句集けやき Ⅰ」   平成二十八年三月十六日発行

笠間静夫「春の海」より

  語り部の南部訛や春炬燵

  世阿弥忌や流人の島の盥舟

  お百度の往きつ戻りつ鬼やんま

懐かしく誰にでも受け入れられる状況が詠まれ安定感があります。
題材にも慈愛ある視線が感じられ、季語にも負担がかかりません。

佐野静子「星空」より

  みやげ屋に大漁旗と風車

  クリックは恐ろしきもの陸五郎

  漉餡か粒あん好きか雪女

素朴で日常的な題材が過不足なく詠まれています。
その中に時折「クリック」や「雪女」が登場し、陽性の機知が混じって
楽しませてくれます。

清水晃子「枯野」より

  松の芯生意気といふ心意気

  この夜のどこかの庭の沈丁花

  きみどりの絵の具よく減る目借時

  白日傘回し時代を動かしぬ

  蓑虫やふいに顔出す孤独癖

  手袋の啓示のやうに脱がれをり

多層的な思考が出来る方で、それを詩に消化する感性もお持ちです。
現実と仮想、沈潜と憧憬、素朴と機知が入り混じります。
好みの句が多く、選に迷いました。

永田歌子「月の道」より

  下萌やルーペ片手の時刻表

  冒険は先づでで虫に触るる旅

  どの背も明日を信じて酉の市

日常の微妙なあわいが丁寧に詠まれています。
きっとお茶の時間を大切に楽しまれる方かと想像しました。

長束房子「豊の秋」より

  沼底に揺るる日の影蝌蚪の国

  どくだみを踏んで村社に詣でけり

  傾けて道譲らるる黒日傘

どの句もモノトーンか渋い配色で彩られています。
他者の視線を集めるよりも、自己の世界の完結を目指されているようで
これもひとつの個性と感じました。

西氏宜子「結願」より

  結願の寺に座すれば初音かな

  木の芽晴吹けぬ口笛吹いてみる

  人波を泳ぐがごとき大熊手

全ての句がご自身での体験をふまえて詠まれたものでしょう。
則を超えず、一歩一歩自らの道を歩まれていることを感じました。

畠山要子「夏の雲」より

  眼前に悠久のとき臥竜梅

  身構へて言葉待ちをり夏至の夜

  薄暗き待合室の金魚鉢

明確なイメージが明確な言葉で表現され、自らの世界が構築
されています。
ただあまりに明確で読み手の想像の余地がありません。
それもまた立派な個性ですが。

村瀬八千代「佳き風」より

  海原へ放つ鐘の音旅始

  花の下飴細工屋の鶴と亀

  菜の花や寝癖の残る医学生

光に彩られた清明なイメージが過不足なく詠まれています。
現実を肯定する姿勢が読む者伝わり、共感を呼びます。

森野俊子「春立つ日」より

  逆光の中に溶け行く春の川

  いわし雲地平線まで続く道

  軒下をつたふ水音春隣

美しい情景が淡々と詠まれています。
人事句もおりこみ、抒情的な調和の世界が絵本のようです。

与川やよい「しゃぼん玉」より

  口固き浅蜊に語る胸の内

  二階より響く「運命」蔓茘枝
  
  悴みし指で海への切符買ふ

自分の感情は明確にありながら、それを語ったり表だてたりする
ことを好まない方とお見受けしました。
しかし半面俳句にして形にする喜びも感じていられるのでしょう。
それもまた俳句の楽しさです。

  
横松しげる「戦争の影」より

  山動くごとく蛤向きかへる

  この辺で変はる川の名蛇の皮

  赤のまま記憶の底にある焦土

タイトルもそうですが、あえて自然界の透徹でなく、人間界の雑味
のある題材を選ばれているようです。
近年しげるさんに出会った私は最初から完成され熟成した句を
作る方かと思っていましたが、かえって新鮮でした。
雑味は実存感につながり、今後の変化も楽しみです。

渡邊隆「鯛焼」より

  表裏焼いて立ち去る焚火かな

  極上の塩のごとくに冬星座

  向日葵は顔のでかさを競ふ花

  体型を熟知している水着かな

隆さんは変わりませんね。
知的な配合でクスリと笑わせる句が多くあります。
しかし現在の微妙な味わいはなく、やはり前に進んでいるの
だとも改めて感じます。

渡辺民親「四季折々」より

  風船の地球儀に見る紛争地

  受験の子らしき熟寝に肩を貸し

  もう沢山と言うては受くる新走り

俳句の経験も知識も豊富な方とお見受けしました。
ただあまりに知的な側面が先に立ち、詩への消化が妨げられ
ているようにも感じます。

藁谷文枝「額の花」より

  引き出しに楷書の手紙忘れ霜

  海好きと山好きのゐて心太

  夏深し茶房は夫の隠れ部屋

感情や本能の深い根が、しっかりと自身の中に行き渡っている
方とお見受けします。
句にもゆるぎない感性が詠み込まれていますが、遊び心も忘
れずに織り込まれているところが魅力的です。

「合同句集けやき Ⅱ」   平成三十一年四月二十五日発行

笠間静夫「福寿草」より

  炭の香の残る袂に老いの春

  風譯の身じろぎもせず紫木蓮

  走り根の血脈のごと夏来る

劇性を求める作句から静かな日常を写し取ろうとする作法への
移行が感じられより純度が高まっているように感じます。
語らずに語るのが俳句の骨法です。

佐野静子「秋夕焼」より

  身の奥にうれしき言葉花ミモザ

  春筍のぶつきらぼうや籠の中

  天高し音楽葬の体験会

より踏み込んで句の内容を深めようとする意志が感じられます。
きっと実感を持って歩みをすすめられているのでしょう。
二句目の「春筍の」の句の「籠の中」は「籠の竹」のほうが面白
いかなと思いました。

清水晃子「槻の芽」より

  木の芽和無口な方に加勢せり

  実梅落つ夜の重さに耐へかねて

  荒梅雨の大きく煽る中華鍋

  辻斬りのありしむかしや曼殊沙華

  括られて肉感的な案山子かな

  眠る山起こさずに押す太極拳

この方の句には惹かれるものがあります。
権威から離れ自在ですが、健全な感性から外れることなく常に
前向きです。
これからも楽しい俳句を楽しませてください。

西氏宜子「卒業」より

  もう一度部室覗きて卒業す

  紅き薔薇胸に直球受けにけり

  白塗りの顔に見覚え村芝居

  みえぬもの見つめて阿修羅冬に立つ

  時雨るるや理髪店には客ひとり

全部の句がご自身のリアリティと結びついていると感じますが、
題材は虚実入り交じり万華鏡のような楽しさです。
どこまでいけるのでしょうか、楽しみです。

畠山要子「朱夏の馬」より

  ゴムバンド厚さを競ふ新年号

  春雷や耳朶さはる癖の人

  再生の古民家喫茶花辛夷

創作意欲が旺盛で一句に多くの情報が注ぎ込まれている句が
多くあります。
むしろシンプルに削った句に想像力が働き、余韻と深みが
生まれるように感じます。

村瀬八千代「花の駅」より

  春愁や小象は人を母として

  入学の装ひマネキンの親子

  噴水の頂き未来誓ひ合ふ

  鳴き龍を鳴かす拍子木山眠る

  春近し書店にドーナツのかをり

きっとブラックユーモアのセンスをおもちなのでしょう。
句跨り等を使ってこの世に内在する不安定感を表出し楽しんで
いらっしゃるようです。私は好きですね。

森野俊子「新樹光」より

  冴返る手動扉のローカル線

  反抗期過ぎて手にする夏みかん

  幼きが幼きあやし合歓の花

  熱帯夜羊千匹でも足りぬ

  秋草や律儀な人の山案内

元気で勢いのある女性たちの句が続きます。
こちらも楽しいおしゃべりのような句でありながら、詩としての
内容の昇華、新しい価値の発見があります。

山田賀寿子「小春日和」より

  シャッターの指確かなり初日の出

  探梅や頬ふくらませ一里飴

  抱きたる子猫の怯え夜半の地震

  昏睡の母に開花と告げやりぬ

  それぞれの静寂の中花火待つ

俳句の経験が浅い方なのでしょう。
ストレートに大づかみ情景を切り取ります。
それがかえって強いリアリティーを感じさせます。

与川やよい「冬木の芽」より

  昼の雷一言のみの置手紙

  その中の一人眼で追ふ踊りの輪

  氷河期に出来し窪地や草紅葉

言葉や表現に無理なストレスをかけず純度の高い表現が
完成されています。
表現と感性に訴えられたものが一致しながら詩としても完成
されている稀有な例です。

横松しげる「あをあらし」より

  飴いろの腰の手ぬぐひ野火奔る

  盆栽に挑む少年あをあらし

  石塊を拾へば熱し沖縄忌

  文鎮のやうに母をり稲光り

  この路地は猫も年寄り牽牛花

  聞く耳を持たずひたすら噛むナマコ

塊を内に蔵した黒光りする句が並びます。
凝縮する、外には向かわないエネルギー。
若さの散漫は消え失せ、何かを掴もうとする手のひら。

渡邊隆「更衣」より

  春の昼ペペロンチーノならできる

  凡人の自覚まだなし葱坊主

  春の田の混沌として水を待つ

  白といふ色の力や更衣

  無視凝視無視凝視無視金魚かな

  正月や一見さんのやうにゐて

  東京は田舎のはづれ冬すみれ

シャイと自意識、質実とクール、純朴と反逆、無視と凝視。
常に相反する要素がせめぎ合っています。
そのアンバランスが隆さんの個性であり、句の魅力でもあります。
しかしこれを続けるのは本当にエネルギーが必要です。
安らかな到達点はあるのでしょうか。

藁谷文枝「風光る」より

  山路来て花大根の海の中

  我が町に名曲喫茶風光る

  ドロップは缶入りが好き菜種梅雨

  名代を務めて終る秋日和

  会いたくて叱られたくて冬苺

すべてを言い切らず、素材に語らせ、読者の想像にまかせる
句が多くあります。
イメージの提出の的確さ、名詞の力強さにより、夾雑物のない
純度の高い表現が達成されています。

                
  「合同句集けやき Ⅲ」   令和四年十月一日発行		
		
小澤弘一「冬茜」より		
		
路地裏に梅一輪の会釈あり		
		
山の辺の道百円の春野菜		
		
かぎつ子の数へ上手やしやぼん玉		
		
初浴衣おみくじ高く結びけり		
		
冬夕焼最終バスのクラクション		
		
言葉に不要な緊張を強いず、濁りのないイメージが提出されて		
います。そしてほどよく抒情性も織り込まれ、自然詠と人事句の		
極めて高いレベルでの合一が達成されています。		
後年の完成度の高さが予見できるものです。		
		
		
小咲まどか「草の実」より		
		
初蝶のブルドーザーの屋根を発つ		
		
春眠の即身仏のかたちかな		
		
聖五月鴉の嘴の綺羅よ		
		
輪転機のインクのねばり夏の果		
		
不老不死絶滅危惧種雪女		
		
明日香句会でお世話になっているまどかさん。いつもよりは		
音無しめの句が多い気もしますが、それでも山口誓子ばりの		
ザハリヒな句が並び楽しめます。ちなみに雪女はまどかさんの		
お母さんの俳号です。		
		
		
佐野静子「鮟鱇」より		
		
蝌蚪の紐揺れて水音なかりけり		
		
紫陽花をたっぷり活けて誰も来ず		
		
器にはうつはの仕事夏料理		
		
愛猫のしづかな寝息星月夜		
		
漱石忌の本屋の棚の招き猫		
		
静かな内的な世界が詠まれています。		
則を超えず、日常の瞬間瞬間を楽しんでおられるのを感じます。		
俳句に束縛されず、楽しむのはやさしいことではありません。		
		
		
清水晃子「翁の夢」より		
		
霾るや埴輪は片手上げしまま		
		
初桜椀の蒔絵の六歌仙		
		
全知全能の貌していぼりむし		
		
無果汁のオレンジジュース終戦日		
		
人間の最後のひとり日向ぼこ		
		
Ⅱ集から比べるとぐっと大人らしい句を作られるようになったと		
感じますし、Ⅳ集の俳句の淵ぎりぎりセーフという印象の句に		
比してはその助走かなとも思います。どこまでいかれるのか		
楽しみにしています。		
		
		
西氏宜子「島の春」より		
		
初春の筆を洗ひし静寂かな		
		
炭酸の泡シュワシュワと夏兆す		
		
店蔵の染め抜きのれん夏つばめ		
		
蚯蚓鳴く親子の縁は切れたまま		
		
顔ばかり火照る社務所の火鉢かな		
		
明確な感性とイメージが提出されていますが、強い官能性も		
感じられます。それが洗練された形になるところに魅力があり		
ます。きっと好き嫌いの多い方かなと想像します。		
		
		
畠山要子「天道虫」より		
		
薄氷をとび損ねたる小さき靴		
		
花吹雪逢魔が時を吹きぬける		
		
草を食む馬のいななき日雷		
		
春の雪手話の親子のネイルかな		
		
病葉に不気味な艶のありしかな		
		
現実の中の非現実、日常の中にそうでないものが滑り込む		
瞬間を捉えた句が多く見られます。ただ新奇なものを詠む		
というだけでなく詩として新たな視点、新たな価値に昇華し		
ています。頭の良い方なのだと想像します。		
		
		
村瀬八千代「春の昼」より		
		
連弾の街角ピアノ蔦若葉		
		
菜の花や余生を送る馬の群		
		
シクラメン少し笑って撮る遺影		
		
軍用機の腹を見てゐる花菖蒲		
		
全力で走って五等鰯雲		
		
まず音韻の良さに惹かれます。言葉に不要なストレスをかけず		
過不足なく対象を捉えるだけでなく、頭韻や微妙なリフレインを		
使って詩的空間を創出しています。言葉の意味を超え、詩の		
世界に遊ぶ楽しさがあります。		
		
		
山田賀寿子「草の実」より		
		
そのむかし大和の世あり姫はじめ		
		
たつぷりと光ふくませ春耕す		
		
何もしない事に疲れて春の風邪		
		
あぢさゐの道短くて言ひ出せず		
		
川一つ渡り花野の人となる		
		
緩やかな詠みぶりで一見大雑把な把握ですが、その下に揺る		
がぬ世界があり、確固たる信念や自分の日常への信頼感が		
感じられます。世の流れ、他人からの詮索にとらわれずに歩を		
すすめるゆるやかな足どり。それを句として表現できるのはな		
んとも幸せなことと思います。		
		
		
与川やよい「大気圏突入」より		
		
巫女さんの小さなあくび春の昼		
		
自家用の畑一坪揚ひばり		
		
菜の花や次のバスまで一時間		
		
存へて令和元年初鰹		
		
饒舌な夫枝豆の塩加減		
		
この方の句には実存感があります。実際に見たこと、感じたこと		
が詠まれているというだけでなく、ある種の濁りがありそれが		
題材の存在感を高めています。自らの立ち位置を明確にした		
句もひとつの個性です。		
		
		
横松しげる「夏の雲」より		
		
待ちづかれしているしだれざくらかな		
		
密命を帯びし菜の花蝶と化す		
		
文鎮の裏の刻印いなびかり		
		
鰯雲だれか叱つてくれないか		
		
銭湯の富士を褒め合ふ神無月		
		
マネキンに命通はすマスクかな		
		
今回のしげるさんの句は日常詠が多く、またそのせいかひらが		
なの多用が目立ちます。平安趣味、江戸趣味からの脱却が		
感じられ自己の世界への自信が感じられます。Ⅳ集の飛躍		
への助走でしょうか。		
		
		
渡邊隆「冬の蠅」より		
		
犬ふぐりきのふの友はけふも友		
		
青饅や一男二女のいまも父		
		
和洋中そろふ食堂つばくらめ		
		
初花や犬とはいへど一周忌		
		
金魚掬ひの上手な女誑しかな		
		
ひと回り小さく生きて夜の秋		
		
身中に老いさらばへし鷹を飼ふ		
		
相変わらず機知に富んだ句が多い隆さんですが、言葉が先行		
して空回りせず、ある種の抒情性が確立しています。句に芯が		
あり、実存感があります。自分らしく生きている証でしょうか。		
		
		
		
皆様へ		
今回、「合同句集けやきⅣ」から始まり、1からⅢ集まで読む		
機会をあたえていただきありがとうございました。		
みなさんに比べ句歴7年と経験も知識も浅い私が勝手な選句		
をし不快な思いをされた方もいらっしゃるかと思います。		
俳句は読み手が自由に解釈していいとは言え、私程度人間に		
言われたくないと思われた方もいらしたらお詫びしたいとおもい		
ます。		
私も七十を過ぎてまだ仕事が忙しく、なかなか時間がとれない		
中俳句に集中できて充実した時間がもてました。		
いままでなんとなく「良い」「悪い」と感じていたものが、説明を		
するために何故かを今までよりも強く意識しとても勉強になり		
ました。		
また様々な句に出会い俳句の可能性を改めて知りました。		
ありがとうございました。		
けやきⅤ集を楽しみに、俳句を続けたいと思います。		
		
		                       松橋晴

                        

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