旬の音楽「5月のモーツァルト」

旬の音楽「5月のモーツァルト」
春の荒れた天候も収まり、5月はす
ごしやすい季節のはずです。
五月晴れとも云われ、清々しい気候
がイメージできます。
しかし実際は、鬱がでたり、腰や肩
が痛んだりとうっとおしいことが多い
時期でもあります。
特に今年はコロナ禍のなかで自粛
を余儀なくされ、精神的にも追い詰
められた雰囲気が漂います。
いつもなら私は5月には、フォーレの
音楽を聴きます。
繊細な表情と微妙なうつろいが、日
ざしは強くても気分は内にこもって
いる5月の季節にぴったりなのです。
しかし今年はフォーレを受けつけま
せん。
変わって手に取ったのはモーツァル
トです。
普通はモーツァルトは3月の音楽で
す。
内から湧き出る自然な感興が、春の
気候に誘われて浮きたつような気分
によくあうのです。
いつ聴いても素晴らしいモーツァルト
ですが、特にこの季節は他の音楽を
うけつけなくなるほどです。
しかし今年はその感覚が起きません
でした。
そして今頃になってモーツァルトの
季節がやってきました。
選んだのはトン・コープマンというオ
ランダの指揮者による交響曲第25
番と29番の組み合わせもものです。
まだ若いモーツァルトによる颯爽と
した曲です。
29番は長調で、感性が伸びやかに
飛翔し、モーツァルトとともに天空を
滑空しているようです。
25番は短調で、青春のやり場のな
いエネルギーが出口を求めて疾走
しています。
映画「アマデウス」の中でも効果的
に使われていました。
コープマンのこのアルバムはずい分
と前から持っていましたが、それほど
感心せず、埃にまみれていました。
この曲ではガーディナーの演奏の
方が好きでしたし、セルやアバド、
マッケラス、アーノンクール等を好ん
できた私には、コープマンは何か中
途半端な感じがありました。
それが突然に私の中に飛び込んで
きました。
コープマンの音は溌剌としています。
活気があり、美しくバランスがとれ、
洗練されていますが、どこにも陰や
澱がなく、切実さに欠けているように
思われました。
良く云えば貴族的で、現実の憂い
など無縁なのです。
しかし今はそのこちらに突きつける
もののない美しい音の流れの中に、
モーツァルトの姿が浮かぶのです。
深刻ぶらずに笑いと涙でこの世を
乗り切ろうとするモーツァルトの感性
はこのコープマンに近いのかもしれ
ません。
一音一音に意味を見出して表現しよ
うとする私の敬愛するアバドやセル、
マッケラスの音楽が少し重たく感じ
てしまう今の時期、このあっけらかん
とした美しい音の流れに身をまかせ、
奔流の中に佇む時、生きる悦びを
感じるのは私だけではないでしょう。
気候の変動も、人の感性の持ちよう
も、普通ではない今の時だからこそ
モーツァルトの健全な感性が、私た
ちの心と身体の深い部分をゆさぶり
ます。

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