音楽の力 その1
「この世に在るよろこび」
モーツァルト ピアノ協奏曲第25・20番

音楽の力 その1
「この世に在るよろこび」
モーツァルト ピアノ協奏曲第25・20番
pfアルゲリッチ conアバド
音楽は芸術の中できわめて稀な存在
です。
音は一瞬で消え去り、形に残りません。
近年は録音があるとはいえ、録音され
た音源や楽譜を芸術とはいえません。
形がなく、手で触れられず、見ることも
できないもの。
しかし良質の音楽は私たちの心の内
まで入り込み、美しいものにふれて心
を充たし、理想を感じて新たな力を
与えてくれます。
そんなありえないような奇跡の瞬間を
創造する音楽の力はどこからくるのか。
人間は何故ありえないものに憧れ熱
中するのか。
人間の、人生の不思議に触れ、音楽
の力を感じてみる機会になればと連
載を始めることにしました。
モーツァルトから始まります。
心の動きのすべてを美しい音に変える
ことができた天才中の天才、モーツァ
ルト。
純真に、微妙に移ろう心のひだや色彩
が聴く私たちも巻き込み、音と一体に
なります。
しかし不思議なことに同じ楽譜を使っ
て、同じ音を、同じタイミングで出して
いるはずなのに、演奏家によって音楽
の表情は驚くほど違います。
いろいろな楽しさ、美しさ、歓びがあり
同じ音楽とは思えないことも多くあり
ます。
ですからモーツァルトは、決定盤という
これが絶対的に良いといえる演奏が
持ちにくい作曲家です。
聴く人も気分や、体調、天候などでい
いと思える演奏が違います。
しかしこの幅の広さと、奥行きの深さ、
とらえどころのない自在さがなによりの
モーツァルトの魅力です。
ご紹介するこの演奏は、亡くなった名
指揮者のアバドが晩年に、自由奔放
ということではモーツァルトにひけをと
らない天才ピアニスト、マルタ・アルゲリ
ッチとの演奏会の記録です。
息をのむほど美しくのびやかな演奏
なのですが、アルゲリッチは最初、
この演奏のCD化を拒否したそうです。
どこかへ突き抜けてしまったアルゲリッ
チは近年ソロや協奏曲の演奏ができ
なくなってしまい、室内楽だけで活動
を続けているようです。
ただアバドとは若い時に同じ先生に
ピアノのレッスンを受け、協奏曲の録音
もたくさん残して気心は知れています。
心を開き、共に演奏に集中できる数少
ない信頼できる共演者です。
アバドの熱心なすすめで共演し、CD
化まで至りました。
アバドも癌から立ち直った後、それま
で以上に音楽に命の炎を燃やします。
この二人はすでに俗世から解脱して
います。
名声や名誉、金銭欲、権威への渇望
そんな生臭さは微塵も感じられません。
音はあくまで自然に淀みなく流れます
が、ただの音の美しさを求めたものと
は違います。
最初の一音から音楽が羽根を広げ、
羽ばたき、天と地を滑空します。
自由であるのにどこにも隙はなく、常に
変化するのに心は静けさにつつまれ
ます。
美しい瞬間を作り続けているのに、ど
こにも作意がなく、演奏家に最良の音
が聴き手にも最良のものであるという
芸術の極地にいたります。
このCDのジャケットには、まだギラギラ
したエネルギーを発散する若き二人
が共演している写真と、歳をへて白髪
と皺が目立ち穏やかに微笑む写真が
載せられています。
しかしこの演奏を聴くと、そのどちらも
が必要で意味のあることとも思えて
きます。
常に最先端を目指していたアバドが
病の後心を開き、音楽の悦びをより
積極的に享受して発散するようになり
ました。
私がこの音楽にはじめて触れたとき、
ああこの音を受け取るために生まれて
きた、と感じました。
音楽の歓び、生きる悦びを音にする
ことができたモーツァルトですが、これ
ほどまで天心に近づいた音楽を私は
他に知りません。
この世にただ「在る」喜び。
そこには意味も、価値も、社会の一切
の力も及びません。
ただそこに存在するたげで楽しく、よろ
こびに充ちています。
芸術には、音楽には、それを伝える力
があります。

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