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- 晴屋の青い扉 その89~90 責任ということ
プライドと誇り
整体法の野口晴哉が残した言葉
でとても印象に深いものがあります。
「不快によって生じた快は、常に
不快の支えなしに存在できない」
というものです。
はじめ見たとき、まったく意味がわ
かりませんでした。
暫く反芻し、考えをめぐらして、こ
れはとんでもないことが書いてあり、
私など足元にも及ばないような人
間への理解によって生み出された
言葉だと理解しました。
世の中にある無駄で、雑多で、余
分なことのほとんど全ての本質を
いい当てているのです。
私はこんな風に解釈しました。
人は育つ過程で様々な傷を負い
ます。
修正でき経験として生かせるもの
から、致命的で身も心も本来の輝
きを失ってしまうものまで色々です。
無垢で汚れないけれど、大人の
保護なしには生きられない赤ちゃ
んとして生まれてきた私たち。
全身で表現する喜びや、安らかな
寝顔は私たちをひきつけます。
大人は本能的に面倒をみようとす
るし、赤ちゃんもそれを当然のこと
として受け入れます。
勘のよい親なら何も言わない赤ち
ゃんの要求を充たし、赤ちゃんは
人間や周囲は自分を受け入れて
いると感じ、信頼し、まっすぐに向
きあって育ちます。
泣いて要求を表現しても、それが
充たされれば泣きやみ、要求すれ
ば応えてくれると感じます。
泣いても全く充たされなければ、
誰も自分を顧みないと感じ、それ
でも生存のために過度に要求を
表現するようになり、満足し、充ち
足りるという感覚を知らずに、必要
以上の欲求をするようになります。
本来は親の注意を集めたいだけ
なのに、大げさな素振りで泣きわめ
いて、次から次に欲求を募らせます。
こうしたことは2歳くらいまでの間
に起き、その人の人生の方向を決
めてしまいます。
潜在意識に入ってしまうので、修
正は極めて難しいのです。
とても怖いことです。
その後も学校の教育や友人関係、
ゲームやテレビなどの影響で、私
たちは恐怖心やコンプレックスを
植えつけられ、本来の自分を見失
い、不満を感じながらも世のシステ
ムに組み込まれていきます。
そうした心の傷を、整体では心と
身体はいっしょのものなので身体
の傷でもあるけれど、持つ私たち
が求める快というものが、その傷を
埋めるためにあり、そのことによっ
て不快を当然のものとして認め、
欠かせないものとして不快を強め
ることによって、更に欲求も強くな
っていくという負の連鎖、終わりの
ないカルマに陥っていくということ
をこの言葉は伝えています。
ここまで人間の根本を一言で伝え
る野口晴哉の天才に感嘆するとと
もに、脱出も不可能なことではない
という一縷の希望も感じることがで
きました。
ここでやっとプライドの話になります。
「プライド」は日本語に訳せば、「誇
り」になるけれど、私たちにはずい
分と違うものに感じます。
誇りというと謙虚さや自分を静かに
見つめる内省的な視線をイメージ
させます。
けれどプライドというと、気位の高さ
や自尊心というような、外に自分を
認めさせようという自意識を強く感
じます。
そして私たちが何故プライドを持つ
かというと、心の傷を補うために他
ならなりません。
それは親に振り向かれない反動と
して、要求を見失い満足すること
ができなくなり、際限なく刺激を求
めるためかもしれなません。
学校での成績のランク付けで劣等
感を植え付けられ、それを充たす
ためにブランド品や資格などを得
ることで自尊心を充たし、優越感を
えるためかもしれません。
窮屈な日常を逃れる手段として、
流行やドラマ、ゲームの世界など
に救いを求め、自分や周囲に向き
合うことなしに、安易な生活を正当
化するためであるかもしれません。
いずれにしろ傷の痛みを忘れ、
本当の自分の要求に向き合うこと
なしに、分かりやすく、世の中で認
められたもの、ブランドや権威や
流行に寄り添うことで、安心感をえ
ようとしています。
前回書いた「好きと嫌い」にも当然
プライドによる嗜好が混じります。
だからこの連鎖から脱出するに
は、自発的に自らの要求に向き合
う必要があるのです。
他人からいくら言われてもプライド
の高い人は自分の非を認めないし、
プライドの高さも当然のことと思って
います。
彼らにとっては、それが自分の原
点と思い、正当性を主張できると
信じているから。
優れた理念や、強い知性によって
も変えることができません。
子育ては真剣に子どもと向き合い、
こちらの存在をかけて共に生きれ
ば、いっしょに育つものがあり、よ
い機会となるでしょう。
整体法では「活元」という無意運動
を誘導し、自立性を回復すること
によって、傷をのりこす力を得る
手助けをしています。
怪我や病気は決して偶然ではなく、
その人の内的な要求や必然性で
おきるというのが整体の立場です。
「怪我」は我を怪しむと書きます。
傷を追ったとしても、それは自分の
せいではないかといぶかるべきと
いうのがその言葉の由来です。
そしてこの視線と姿勢が、「プライ
ド」と「誇り」を分けるものとなります。
西洋と東洋の個性の差ととらえる
こともできます。
ブランド志向、流行への追従とい
うことばかりでなく、いじめ、モンス
タークレーマー、虐待などの個の
問題から、現実への不満のはけ口
としての他の民族との諍い、戦争
にいたるまで、このプライドに関わ
る同じ根でおきています。
自身が負っている傷を他者に負
わすことを厭わないこの連鎖を広
げる側に加担するか、その輪から
できるだけ身を離し赤ちゃんのす
こやかさを守る側にいるか、ひとり
ひとりが問われています。
誰もがプライドと誇りという一見同じ
ようにみえ、実は反対の性格をも
つ両側面を持っています。
自分の中にどの価値を認め、育て
るかで、長い時間の間にはずいぶ
んと違った人生となるでしょう。
プライドの高い人がその価値感を
押し付け、認めさせようとしてくるこ
とは私たちの日常にもよくあります。
欠点の指摘や否定は受け付けま
せん。
そして、馬鹿にされたり、ぞんざい
に扱われることに、過剰に反応し
ます。
そうした人の生き方を変え、本来
の個性を持って生きるように導く
には、まず認めることからはじめな
くてはなりません。
それも本人が認めて欲しいと思う
ポイントよりも深い部分を認め、権
威や外からの価値ではなく根本に
ある生きる素朴な感覚を目覚めさ
せ、呼び起こし、個性を引き出す
必要があります。
それを理屈として諭すのではなく、
共に生きる感覚で伝えいっしょに
変っていく覚悟が必要でしょう。
そこまでの覚悟がその人に持てな
いのだったら、敬して遠ざけるしか
付き合う方法はありません。
晴屋は、美味しいもの、感覚を呼
び起こすもの、本来の個性を取り
戻す手段になるものを提供するこ
とで、負の連鎖から抜け出すきっ
かけや手助けになりたいと思って
います。
この世の中ではまったく微力なの
だけれど、平凡な私たちにできる
最大限のことが、世の流れから距
離を置き、価値観の近い人たちと
共に生きるための食べ物や情報
を提供することです。
プライドに凝り固まり、感覚を鈍らせ
て何かに執着する人を見るのはと
ても不快です。
心と身体を柔らかく保ち、伸び伸び
と生きている人に、快感を覚えます。
音楽や芸術は正にそうしたもので
しょう。
私たちがその感覚を失わない限り
この世にはまだ生きる意味がある
と思うのです。
晴屋の青い扉 その89
責任ということ
最近のマスコミの話題は日大アメフ
トの暴行、安部首相のモリカケ、Me
Tooのセクハラなど、社会の中での
権威と責任のあり方を問うものが多
い。
大きな権力があるところには必ず
利権がある。
巨大化し、複雑に入り組んだ社会
では、会社の方針や国の政策など
でもトップの違いによっても大きな
差はでにくい。
けれどその中でもごくわずか、もし
かしたらほんの1%に満たないかもし
れない裁量の範囲はあるだろう。
こうした利権は今の世の中に始ま
ったことではないけれど、巨大化し
た社会のピラミッドの頂点に立つ
人たちにより大きな権力や利権が
集中する。
全体からすればごく小さい数字で
も、大きな組織では個人では考え
られないような大きな金額が動く。
上流、中流、下層というかつての
緩やかな階層ではなく、数%のごく
少数とそれ以外という格差社会だ。
一方、情報システムも巨大化して
速度を速め、インターネットで瞬く
間に情報が拡散する。
大きなシステムを動かす人たちに
とっても、このマスコミやインターネ
ットの動きを無視することはできず、
むしろ非常に気を使わざるをえな
い。
そうした中で責任の取り方がますま
す世の中の注目を集めている。
何かを変える力を持つ人は、それ
に応じた責任を持つのは当然のこ
ととして扱われる。
私たちは社会に対して責任がある
と教えられ、それを果たすのが社会
人の責務だと思っている。
法律とマニュアルを守り、戦禍にさ
らされる子供たちの食べ物の心配
をし、マイノリティの権利を保障し、
後進国の教育を推し進めようとし、
環境への配慮も求められる。
それをしなければ世界に対する
責任を果たしていない、多くの人
が責任を果たさないために、世界
はいつまでも良くならないのだと
思わされている。
それに対して、イリイチやフーコー
等の先進的な社会学者たちは、
「責任などというものは無い」と言い
切ってしまう。
人間はいつも進歩するものだとい
う前提に立った、社会が作った幻
想でしかなく、世界を支配する巨
大なシステムを維持し、補完する
ためのものだという。
責任ほど人間を疲れさせるものは
ない。
緊張し、根源的なところまでのエネ
ルギー奪っていく。
それだからこそ、責任を持ち、果た
すことを好み、選ぶ人たちがいる。
全てを要求されるため、達成したこ
とへの快感も大きいものがある。
また反対に、なるべく責任を避けよ
うとする人たちもいる。
全てに責任を果たすことができな
い以上、なるべく拘わらないことが
正当だと感じる。
その両極の間で、立場や価値観に
よって無限の局面があるだろう。
けれどひとつの命であるからには、
命としての責任は全うせざるをえな
い。
この世に生まれて命を輝かせなけ
れば、生きている意味はない。
また命同志としてつながっている
人たちへの責任も当然あるだろう。
こうした責任は「つとめ」と呼ぶ方
が似つかわしい。
本能的であり、自然発生的であり、
命が続く限り変わることはない。
それに対して社会が要求する責任
は立場が変わればまったく別のも
のとなってしまう「責務」だ。
会社が変わり、国が変われば、要
求されるものは違う。
責任として同じように見え、区別し
にくく、現実にはつながっているこ
との多いこのふたつのを分けて見
ないと、私たちは何のために生き
ているかを見失ってしまう。
報道されるニュースへの興味と違
和感も、責務とつとめの葛藤とみる
こともできる。
人とつながることに快感を感じる人
たちが、政治や権力に興味を感じ
ることは当然だろうけれど、命の自
然なはたらきから離れると、とても
グロテスクなものに変質してしまう。
それは彼らだけでなく、私たちの
身のまわりにも同じように起こりえる。
10人にも満たない晴屋の責任でさ
え、私には重くのしかかる。
これが100人、1000人、それ以上の
見知らぬ人たちにまで責任の範囲
が及ぶなど考えることもできない。
どうやって社会を再構築し、責任
を狭めていくかが問われている。
晴屋の青い扉 その90
トラックの引き売りと「モンテレッジォ
小さな村の旅する本屋の物語」
免停が明け、一か月ぶりにトラック
の引き売りが再開した。
すべてのエネルギーを剥ぎとって
身も心も干乾びさせるような炎天下
の中、たくさんのお客さんたちが
きてくれた。
毎週の引き売りはもう38年間続け
ている。
そのうちの4週を連続で休むのは
はじめてのことだった。
もう忘れられてしまったかなと思っ
たけれど、私もふくめて高齢者が
多くいるので、新しいことには馴染
めなくても昔からのことは忘れずに
続けることができる。
品物や人間への互いの信頼が途
切れることがないというのは、とても
有難いことだと感謝した。
引き売りを休んでいる間は少し時
間の余裕があったので、店の改装
にさく時間ができた。
この時間があれば、この棚とあの棚
が直せると思いつくと、もう止まらな
い。
人参が目の前にぶら下がった馬に
なり、疲れも忘れて仕事は進んだ。
周囲になじんだ、あまりに自然な
仕上がりなので、ほとんどの人は
気が付かないけれど、これはある
意味とても上手くいった証なのだと
内心、充実感がある。
そしてもうひとつ出来たのが本を読
むことだった。
日頃、忙しさに流されて本を読む
ことはほとんどない。
どうしても必要に迫られて年に一、
二冊が精いっぱいだ。
それが思いがけない時間の余裕
があって何冊かの本を楽しむこと
ができた。
その中で一番印象に残ったのは、
イタリア在住のジャーナリストで、
エッセイストでもある内田洋子さん
の書いた「モンテレッジォ小さな村
の旅する本屋の物語」だ。
内田さんがお気に入りで、必ずよ
る古書店がヴェネチアにある。
センスよく、山と積まれた本たちは
それぞれの居場所がある。
店主に何かをたずねると、必要な
もの、新しい世界を拓いてくれるも
のをその中から的確にとり出して
くる。
さり気なくすすめてくれるその知識
とセンスに感嘆していたのだけれ
ど、店主たちがモンテレッジォとい
う過疎の山村の出身であることが
分かることから話ははじまる。
周囲が栗林に囲まれた村で、川に
ある石以外に売るものがない。
石をかついでの行商が、同じ重さ
の本を持ち歩くようになっていく。
忘れられ目にふれることのない
古本、日の当たらない新刊書たち
に光を与えて、人の手に手渡す。
それは文化に飢えた人にうるおい
を与えるだけでなく、新しい運動も
育てていった。
列強によって分割され、属国化し
ていたイタリアの統一運動に力を
与え、第2次世界大戦中もファシス
トへのレジスタンス運動を支える禁
書を届けた。
暮らしのためではあっても、命や
生活をかけての地をはうようにしぶ
とく、血の通った仕事だった。
トラックの引き売りをいまだに続ける
晴屋だけれど、文化やレベルの違
いはあっても、暮らしに根差した反
骨という共通のものを感じて心強い。
一人や二人でなく、村人ほぼ全員
が本にかかわり、独特な感覚を育
んでいった。
イタリア全土を超えて活動は広がり、
出版社もまきこむものとなった。
本の新企画が適切かどうか問い、
価格もまかせて村に託す。
そしてモンテレッジォを中心として
「露天商賞」というイタリアで支持さ
れている本にかんする賞も始まる。
ふだんは過疎といってもいい静か
な村が、夏の授賞式には出版社
などもふくめ多くの人が集まり、活
気づく。
そしてその時期は、村人たちの帰
省の時とも重なる。
特産の栗を使ったパスタなど素朴
な美味と人情が待っている。
本を扱う仕事を続けている者も、そ
うでない者にとっても、村に帰るこ
とは大きな悦びである。
モンテレッジォは、心の故郷であり、
生きる支えであり、何より誇りなのだ。
長い歴史と暮らしに根付く文化、
生きる重さと本のずしっとした手ご
たえ。
それらが失われつつある現代だか
らこそ、持つ意味はより大きく深い。
晴屋三十数年の歴史など足元に
も及ばないけれど、歩いている方
向に間違いはなかったのだと、改
めて感じる貴重な時間だった。
「モンテレッジォ 小さな村の旅する
本屋の物語」は、方丈社刊、本体
1800円 2018年4月初刊です。