晴屋の青い扉 その99~103  引き売りの引退 

晴屋の青い扉 その99
引き売りの引退 その1
「時代は変わる」
38年間続けたトラックでの引き売
りをやめることになった。
大人になってからの生活の大半
の時間を費やしてきたことがなく
なるのは不思議な気分で、自分
で決めたことなのにまだ実感は
ない。
喪失感でもなく、虚脱感もなく、た
だ新しい現実に戸惑うばかりだ。
決めたことの一番の要因は、運
転免許の長期の取り消しが決ま
ったことによっている。
自分の不注意であり、言い訳す
るまでもなく、私に非がある。
それはもちろん法律に違反した
という事実だけれど、自覚として
は世の流れについていけなくな
っている現実を強く意識せざる
をえない。
私がトラックで引き売りを始めた
40年ほど前には、トラックだけで
なく、リヤカーで引き売りをしてい
る仲間もいた。
それがたぶん今は私が最後とな
っている。
生活感も変わったが、道の意味
が変わってしまった。
その当時はまだ、何もない原っぱ
があり、子供たちが自由に遊んで
いた。
道も誰のものでもなく、みんなが
好きに使っていた。
縁台をだして涼み、布団を干し、
鬼ごっこやゴム飛び、ケンケンで
子どもたちが遊び、梅干しを干し、
座っておしゃべりをしていた。
今は道路は公共の場であり、個
人が自由に使うことはできない。
法律的にそれはもちろん正しい。
けれどそうでない生き方はできな
いのか。
そんな時代に抗って、時の流れ
を少しでも止めたいという思いが
私の中にあった。
だから、死ぬまで引き売りを続け
たいと思っていた。
けれど時代の流れはますます厳
しくなる。
一番最近の違反は一時停止で、
停止したのだけれど安全確認の
ため停止線を超えて止まったた
めに捕まってしまった。
その前は赤信号なのだけれど、
信号の先が急な上り坂のため重
いトラックの速度が落ちないよう
前の大型トラックに続いてアクセ
ルをふかして交差点に入ったた
め、確認が遅れて微妙に赤信号
にかかってしまった。
いずれも当初どうして捕まったの
か分からなかった。
以前なら違反として扱われるよう
な状況ではない。
私の常識はもう旧式で、今の世
には即していない。
もう過去の人間なのだと宣告され
ているような気がする。
そして怖いのは人を傷つけるこ
とだ。
このまま続けて誰かの健康や生
命を脅かしたら、何のために仕事
をしているか分からなくなってし
まう。
そう一端思ってしまうと、続けよう
という意思が萎えるのを感じた。

 

 

 

 

 

 

晴屋の青い扉 その100
引き売りの引退 その2
「晴屋と整体」
晴屋開業当時、27才だった私は、
意識には上らない信念を持って
いた。
人間は健康に生きる力を持って
生まれ、個性を追求し全うすれば
必ず道は拓けていく。
信じるものがあれば、自分も近づ
き周囲も共に変わっていく。
人間を善きものとみる人間観は、
元から内にあった志向だけれど、
野口晴哉の整体法との出会いに
よってぴたりと内に固定した。
人間の心も、身体も、潜在意識や
本能、精神までもひとつのものと
してみる整体法は、西洋の細部
の分析と合理性、東洋の内への
集中と全体との調和という異質の
文化を融合した最高度の科学で
あり、哲学だと思った。
数百年後には、野口晴哉は仏陀
やキリストと並び称されるに違い
ないとさえ信じた。
八百屋という現実の場でそれを
展開していくのが私の仕事だと
感じていた。
「晴屋」という名前も野口晴哉か
ら一字を頂戴し付けたものだ。
人に伝えたことはほとんどないけ
れど、秘めた信念として続いて
いる。
けれど40年近い月日が経った今、
整体協会も大きく変化し、晴屋も
大きな曲がり角にさしかかってい
る。
整体協会は代替わりをし、社会の
要請や規制にあわせて合理化し、
昔からのものの多くを切り落とした。
もちろん必要で必然的なことだけ
れど、多くの心ある人たちが離れ
ていった。
私も整体へのスタンスを変えざる
をえなくなっている。
私にとって、自分に向き合い生か
すための唯一絶対の方法だった
整体だが、今は生きるのに少し
役立つ、世の片隅でだけ通用す
る、現実と折り合いをつけるのに
有用な技術となっている。
有効ではあっても、社会を変えた
り、個人のあり方を根底から覆し
再構築する革命的なものとはな
っていない。
天才野口晴哉でも多分予想が
出来なかった速度で社会や個人
が変わってきた。
私が子供の頃、コンピューターな
どは絵空ごとでしかなく、やっと
テレビが普及し始めた程度だっ
た。
インターネット、携帯、スマホ、そ
れにともなう生活や知識の伝搬
の速度の変化、時間と数字に縛
られて自分の速度を見失い、自ら
の要求や本能を感じ取れなくな
る現状など、想像することもでき
なかった。
始めた当初は、晴屋にかかわる
人すべてを健康にしようと目論ん
でいた。
それは果たすことができない夢
だったけれど、せめてこんな時代
だからこそ、昔ながらの引き売りは
続け、社会の変化からなるべく遠
くに身を置きたいと願った。
時間の流れを少しでも遅くしよう
と努力していた。
東京の片隅の東久留米なら、世
の波を多少は避けていられるので
はないかという甘い期待もあった。
今回、免停だけでなく、トラックの
車検、気力や体力の低下の実感、
同世代のロアンの廃業やプチフ
ールの営業の縮小、古い付き合
いの生産者の急逝、息子の結婚、
娘の出産など様々なことが同時
に起きている。
自分がもう旧式の人間で、時代
遅れというだけでなく、時代錯誤
でさえあるのを自覚させられる。
何を続け、何を止めるかという切
実な選択を強く迫られているのだ。

 

 

 

 

 

晴屋の青い扉 その101
引き売りの引退 その3
「時代の空気感」
先日、踏切を渡る小さな子どもを
連れた若い夫婦をみかけた。
どこにでもある平和な風景であり、
世の中がどう変わろうとこれから
も続いていく営みに違いない。
けれど私の車の前を通り過ぎる
家族の不思議な空気感が気にな
って、どこに違和感があるのか、
心の中を探ってみた。
彼らと共に動いていく半径1メート
ルの範囲の空気が重く沈んで見
える。
暖かく、居心地はいいのだろうけ
れど、見えない壁に囲まれている。
その夫婦にとっては半径1メートル
以内が生活圏であり、関心の対
象であり、多分世の全てなのだ。
後は、スマホとネットでこと足りる。
似た感性を持つものが大きな波
風なくいっしょに暮らし、それは子
どもにも受け継がれていくだろう。
地球の反対側でテロが起きて大
勢が死に、便利な暮らしのために
大量のゴミが破棄され、身体と心
に飢えを感じる子供たちがただ生
きたいと願い、この国の政治が悪
化しても、半径1メートルに影響の
ないことには関心を持たない。
けれど一度その範囲に類が及ぶ
と「信じられない」「あり得ない」と
拒絶する。
確かに無限の情報が手に入り、
何に対しても変化を望めず、多数
とつながれるようで実は分断され、
マニュアルに乗らない意見は通ら
ない世の中では、無関心やそう
受け取られる態度は処世術として
身につけざるをえないだろう。
それにしてもこの手応えのない
感覚、投げかけても反応がなく
素通りし、こちらへの言葉も何も
心に残らないのは、いったい何
なのだろう。
宇宙人と話しているような感じに
襲われる。
見かけがまったく普通だから、そ
のギャップはますます大きい。
こうした淀んだ空気感と対照的
なのが渋谷の交差点に集まる若
者たちだろうか。
前向きで、ノリがよく、時代の先端
を泳いでいるような気迫は感じる。
私たちの世代にも、エリート意識
や権威を求めて、他を踏み台とし
ていた者たちはいたから、いく分
かはわかりやすい。
とは言っても、自らの内なる要求
を突き詰めず、存在の何かを問う
迷いや葛藤を含まないので、地
に足が着かず、共通の根がない
ことに変わりはない。
これはもちろん、若者たちだけの
問題ではない。
それを許し、育ててきた私たちの
責任でもあり、また私たちの中に
もその萌芽はあるのだ。
文字を読まず、自分でものごとを
考えない老人たちの何と多いこ
とか。
これを退化と呼ぶか、進化と言う
べきか。
世は確実にその方向へ向かって
動いている。
画面からの視覚的な刺激に満ち
た知識が優先し、自然の豊穣と
多様性、生命の躍動と猥雑、出
会いと別れ、あることとないことの
意味が見失われている。
これを書く私も、読んでいる方々
も、世の動きからは離れた所に
いる。
若い時は、美味しいという命の源
の感覚や子どもを愛しみ育てる
本能が健全なら、世の中も人間
もまだ未来はあると思えていた。
けれど今、そう言える自信はない。
不特定多数の人たちに伝える言
葉を失ってしまった。
そんなエネルギーの枯渇の自覚
も引き売りをやめたことの理由の
ひとつに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

晴屋の青い扉 その102
引き売りの引退 その4
「ロード・ソング」
40年ほど前に、引き売りでの八百
屋を始めようと思ったとき、テーマ
ソングを何にしようか考えていた。
その時まず思い浮かんだのは、
ウェス・モンゴメリーの「ロード・ソ
ング」だった。
軽快なリズムに乗って、ウェスの
温かく、厚みのあるギターが伸び
やかに歌う。
車窓をいく、木々や、建物の光の
きらめきがそのまま音になってい
るようだ。
その当時は、パン屋さんや、魚屋
さん、八百屋などの引き売りも今
よりずっと多く、いつも決まった
曜日と時間に流れる音楽が、来
ましたよというメッセージになって
いた。
今では、考えられない。
すぐにクレームが来て、うっかりす
ると警察沙汰になってしまう。
40年の時の流れは多くのものを
変えた。
トラックの引き売りを止める決心の
最後の一押しになったのは、一時
停止違反で捕まったことだ。
止まって安全確認をしているの
に停止線上ではないというだけで
の摘発は、昔なら考えられないこ
とだ。
捕まえたのは若い、二十代と思し
き警察官だったけれど、強権的
態度も、屈折もなく、ただ淡々と
職務を遂行するのみだった。
相手の立場への思いやりや、自
分がしていることへの懐疑はない。
決められたことだし、自分の成績
にもなるのだからやるのが当然
のことなのだ。
一緒にいた先輩らしい三十代の
お巡りさんはなんとなく気まずそう
で、目を合わせないようにしてい
たのとは対照的だった。
若い方の警察官に、こんなことよ
りもっと他にやることがあるでしょ
うと言ったら、「心に留めておきま
す」とだけ言う。
心にもない言葉だ。
何を言っても無駄と怒る気力も萎
え、ただため息がもれた。
以前に高島平で引き売りをしてい
た時、近くの警察署の年輩のお
巡りさんが近づいてきた。
「俺もさあ、親が八百屋の引き売
りをやって育ててもらったから言
いにくいんだけどさ、ここは物を
売っちゃいけない所でさ、通報が
あったから言わなくちゃならない
んだよ」と申し訳なさそうに言って
きた。
「分かりました、すぐにどけます」
とこちらも素直に、心から言うこと
ができる。
この時の流れ、空気感の違い、
生活感の差はどうしても埋めるこ
とができない。
前から晴屋は、大手の流通には
できないことをするすきま産業だ
と思っていたけれど、もう世の片
隅でしか成り立たないものだと改
めて思い知らされた。
まともなものを一生懸命に扱って
いれば自然と道は開かれるとい
う、しごく当然のことが通用する
世の中ではなくなってしまった。
しかしそれでも、世の人たちも、
私も、生きていく。
寿命のある間は精いっぱい生き
ることだけが、生きる意味だ。
片隅で、身の丈にあった暮らしを
するのもいいだろう。
けれどまだ、今に飽き足らず、何
か違うもの、より良いものを求め
る生意気で、成熟しない何かが
私の中に潜んでいる。
人として、自然の一部として、少し
はまともな位置にいるという自覚は
消えることはない。
晴屋は最初から、野菜の「正しさ」
は追及してこなかった。
「美味しさ」こそが野菜の価値だと
思っている。
教条的な押し付けでなく、自分の
感性にあったものに意味がある。
しかしそこにも強制が潜んでいる
かもしれない。
野菜が昔のようには売れない状
況が続く中、野菜の「楽しさ」を伝
えられるかが問われている。
私にまだ野菜のことを伝えるエネ
ルギーが残っているか、新たな伝
え方を見つける想像力があるか。
ロード・ソングを聴いて、楽しい
未来を想像していた自分を取り
戻せるか。
希望があるから、絶望もある。
絶望があるから、希望の意味も
深まる。
問われる課題は大きい。

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