有機ということ

有機ということ
今年で創業43年になる晴屋ですが、
当初は「有機八百屋 晴屋」と名乗っ
ていました。
「有機」という言葉には深い意味合い
と、歴史と、それにまつわる生命観が
あります。
有機の反対は無機です。
無機は、炭素Cを含む化合物で二
酸化炭素CO2等の単純な構成の
物のことです。
それに対して有機は、炭素を含んだ
複雑な構成の物、炭水化物やたん
ぱく質、脂肪などのことです。
炭素はとても結着力が強い元素で
す。
ダイヤモンドが最強で最も硬い物質
で安定しています。
一度結びつくと簡単には分離しませ
ん。
その安定した力を使って生命は身体
を作り、エネルギーを蓄積し、必要な
時にはとりだして使います。
ですから有機は生命活動の結果で
あり、豊かな生態系や複雑で精妙
な生物活動を表現する言葉です。
自らが充実して生きられるだけでな
く、周囲とも支え合い、再生産ができ
て、永続性があります。
「有機的」という言葉には、様々な個
性を持つものが複雑に関わりながら
全体として調和する状態が表現され
ています。
そうしたニュアンスに惹かれ、「有機
八百屋」という言葉を使っていました
が、今は別の意味がとってかわり使
えなくなってしまいました。
2年以上農薬等を使わずに栽培した
ものを「有機」と呼ぶことができます。
分かりやすいのですが、本来の意味
や人のなりわい、自然の豊かさはす
っぱりと切り落とされています。
売ることを主目的としたキャッチフレ
ーズとしか感じられません。
もちろん農薬を使わずに農業をする
ことに意義はあります。
しかしそれを目的とする時、「有機」
は商品を売るための安っぽい表現
となってしまい、生命の豊かな働き
やダイナミックな共感が失われてし
まいます。
とても残念なことです。
「無添加」や「無農薬」という言葉を
晴屋では使ってきませんでした。
それはあくまで結果であり、自然の
原理に即した農法や生活を支え、
続けることに意味があると考えたから
です。
それにさらに「有機」という言葉も使
えなくなってしまいました。
巨大な経済システムは都合の良い
ものを巧みに取り込み、進歩してい
るように見せながら、無意味化して
いきます。
何故無意味化と言うと、美味しさを
ともなわないからです。
もうひとつの私の嫌いな言葉、「イノ
ベーション=経済的発展をともなう
技術革新」も全て同じ根から発せら
れています。
世の最先端に立ち、多くの人に役
だっているように見えながら、実は
経済システムに吸収されます。
そして全てを相対化していき、個人
の想像と創造の余地が奪われてい
きます。
難しく、厳しい状況に追い込まれて
います。
農薬や化学肥料だけでなく、遺伝子
組換えや品種の維持等複雑で解決
のつかない問題が山積しています。
何かを選択しつかもうとすると、何か
が零れ落ちていくようです。
もし原点に帰って、自分を取り戻す
機会を得るのだったらその基準は
美味しさです。
個性が違う私たちは、美味しいと感
じるものがみな違います。
必要なものを美味しいと感じ、必要
なければ不味いと思います。
お腹=腸は、植物に例えれば根で
す。
身体を支え、周囲の環境と接して
調和を保ち、栄養を吸収します。
美味しいと感じること、腹に息が深く
入って暖かな感じがすることが快で
あり、肯定すべきことです。
何か分からないことに遭遇した時に
身体に聴き、反応を確かめることで
自分にとつて良い選択ができます。
反対に、息が浅くなること、お腹が
冷たい感じがすること、そして不味い
ことは不快で、避けるべきことです。
私たちに備わった精妙な感覚を生
かすこと以外、自分らしく生きる方法
はありません。
「有機」という言葉には本来はそうし
た意味も含まれているはずです。
それを取り返すのは社会でも教育
でもなく、私たち自身の力です。

関連記事

ページ上部へ戻る