オーディオの今や昔の話 その3 ニア・フィールド・リス ニングへの道

オーディオの今や昔の話
その3 ニア・フィールド・リス
ニングへの道
「大は小をかねる」「大きいことはい
いことだ」という言葉たちも最近は聞
くことがなくなった。
世は省エネ時代となり、バブリーなも
のは敬遠されるようになった。
前回スピーカーは小さい方がいいと
書いたけれど、アンプでも大きなパワ
ーを出すものには欠点がある。
アンプは部品に由来するノイズが必
ずあり、大きな出力を持つものの方
が雑音も大きい。
大きいものを小さく使えば余裕があ
って再生できそうなものだけれど、
耳をそばだてれば聞こえるノイズと
いっしょでは、音楽の細やかなニュ
アンスはつぶされ、大味で透明感の
ない、鈍い音になってしまう。
その鈍さをごまかすために低音や
高音にアクセントをつけるのはスピー
カーとまったく同じ発想だ。
こうした強調された音を好む人もいる。
もちろん趣味の世界なのだから、ど
んな音が好きでも、どう音を出しても
自由なのだけれど、オーディオマニ
アやジャズマニアの好む、ベースや
ドラムがドスーンと響き、シンバルが
カーンとなるような音は不自然で、き
わものだと言わざるをえない。
実際のベースやシンバルはそんな
音はせず、柔らかく爽やかな音がす
る。
もてあますほどの生きるエネルギー
の発散としてカタルシスを求めてい
るのかもしれないが、それを押し付
けられるとこちらには迷惑だ。
威力を誇るのではなく、恥ずかしい
こととして、目立たないように片隅で
やってもらう品格を望みたいと思う。
江川先生はまさにこうした偏見と戦
い、新しい世界を切り開いていった。
便利さや、見かけの分かりやすさ、
次々に生み出される技術と言葉たち
に目を眩まされずに、自らの感覚で
オーディオの世界を組み立て直して
いった。
それでも最初は物量での対処から
始まった。
20cmのフルレンジ・スピーカーを家
の柱に固定し、振動をできるだけ抑
えて、壁に埋め込んだ。
けれど物量には際限なく、投入すれ
ば効果があるけれど限度が見えず、
どこまでいってもこれでいいという一
線がやってこない。
そこでスピーカーを小型化して、低
音の量は諦め、余分な振動を減らし
た質をもとめる方向に向かった。
スピーカーの箱の形状をつきつめ
これも結局小さなものの利点が明ら
かになった。
セパレーターという板を左右のスピ
ーカーの間に入れることで、左右の
音のつながりの向上を図ったことも
あった。
また左右の間隔を狭め、スピーカー
を外側に向けて置く「逆オルソン」と
いう設置で、音場の密度と自然な響
きを追求したこともあった。
スピーカーのまわりにはなるべく他の
ものが無いほうが音がいい。
音が伸びやかに広がり、空間が感じ
られる。
「音の自然なたちふるまい」を求め、
窓を開けて再生した方が音がいい
というところまでいってしまった。
ひとつ断っておかなくてはならない
のは、こうした追求が禁欲的で、理論
のために感覚を犠牲にして我慢する
というものではなく、あくまで感覚の
悦びを求めてのものだということだ。
音量や低音の威圧感はないけれど、
「音のダイナミズム」と表現される絶
妙なニュアンスと音のビビットな表情、
小さい音と大きな音の使い分けによ
る演奏者の意図を感じる存在感があ
る。
そしてこれらの追求は「ニア・フィー
ルド・リスニング」へと終結していく。
スピーカーにこちらが近づくほど、
周囲の物や部屋の影響を受けなく
なっていく。
また左右のスピーカーの音の混じり
あいによる音の濁りも無視できるよう
になる。
それならヘッドホンの方がいいだろ
うということになるけれど、音は耳から
だけでなく全身で感じ、特に顔の頬
は多くの空間情報を感じている。
それらがなくなることで違和感があり、
音像といわれる音を出しているイメー
ジが頭の中に結ぶ違和感もある。
また脳に直接刺激があるので、頭が
疲れてしまう欠点もある。
ニア・フィールド・リスニングの基本は、
20~30cmの間隔に置いたスピーカ
ーに接近し、その間に顔を入れるよ
うにスピーカーから10~30cmまで近
づいて音楽を聴く。
音のリアルな存在感と自然な音場が
両立し、目の前にステージがあり、そ
こで今まさに演奏家が音を出してい
るような臨場感が感じられる。
以前晴屋で提供していた「愉音」の
シリーズはこれを想定したものだ。
また小型のスピーカーを使って、普
段は机や本箱に置いておき、真剣
に聴きたいときだけ、取り出してその
世界に入り込むこともできる。
スピーカーの間隔や距離は、その人
によって好みの個体差があるようだ。
これは実際に試してもらうしかない。
今まで聴くことのできなかった音楽
の表情を楽しめる。
もちろん演奏のアラを感じて、今まで
楽しんでいたものが楽しめなくなる
場合もあるけれど、それもまたひとつ
の成長であり、深化といえるだろう。
本当に人間に有用なものは、持つこ
とによって世界が広がるが、こちらの
姿勢が問われることもある。
江川先生はオーディオをそのレベル
まで押し上げたのだった。

 

 

 

 

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