再録 小さな宇宙の作り方 その2 民主主義国家で生きる

再録 小さな宇宙の作り方 その2
民主主義国家で生きる

私たちが暮らす民主主義の国。
国民の総意が国を動かし、大多数
の人が自由を楽しみ幸せに生きら
れるはずです。
けれど今、満ち足りて心静かに日
々をすごしている人はどのくらい
いるのでしょうか。
人間は仕事をする生き物として位
置づけられ、社会の一駒として責
任を果たすことを求められています。
そこから抜け出し息抜きをする機
会として、ゴルフやリゾート、絶え
間なく流されるTV番組、ネットの
情報や現実を離れたゲームの世
界があてがわれます。
同時に社会が巨大化しシステムの
不備が増大して仕事のストレスは
より多くなり、ネットに拡散するクレ
ームを恐れて仕事はよりマニュア
ル化し個々の責任はますます重い
ものとなります。
その憂さを晴らすために、与えられ
た楽しみへの依存はより大きくなり、
ケータイやパソコンの新型、新しい
商品が次々と現れて私たちの前を
通りすぎ、それによって豊かになる
どころか心も財布も貧しくなってい
きます。
確かに日本にはまだ良いものが
たくさん残されています。
他人を思う細やかな心遣い、自己
を犠牲にして人に譲る精神、労働
を尊いものとして地道に働く人を
評価する謙虚さなど、他の国では
あまり例がないようです。
けれどこれらは自民党が守り育て
たものではありません。
中央集権的な天皇制や幕藩体制
はそのまま明治政府に受け継がれ
ました。
しかしこれらとは全く異質な、地方
それぞれに根ざした暮らしが脈々
と受け継がれていました。
集落の寄り合いの話し合いでは、
全員一致を原則とし、一人でも反
対者がいれば、何日でも話が続け
られました。
ついに一致しなければ、これで話
はおしまいということになり各自の
自由となりました。
京都や江戸の都会的洗練とは違
った、その自然や土地に根付いた
確固とした暮らしがありました。
それは根強かったため、尊重され
一定の領域を形作って、中央の力
も立ち入ることは出来ませんでした。
こうしたものが日本人の、自然とと
もにあり他人を思いやる精神を守
り育てていたのです。
しかし明治以降の近代化とともに、
学校教育や過剰な医療、情報の
暴力的な洪水の威力で、生活手
段は画一化され、人間本来の自
立的領域はますます細々としたも
のになってきています。
自民党は保守として昔からのもの
を守るように見えながら実は破壊
者として、金と権力を手段と目的と
し、土建的な体質で日本を荒廃さ
せてきました。
工業製品を輸出する見返りに、海外
の食料を大量に買うため、国内の
農産物の価格は押さえ込まれてい
ます。
補助金や助成金で農業を守って
いるよう見せかけながら実は農民
の地位を貶めています。
年金の破綻、国家財政の切迫、
原発の推進、これらは全て自民党
政権下で推し進められてきたこと
です。
そして、悪い政治や戦争、原発事
故では確実に多数の人が不幸に
なります。
今の私には、自民党が日本の守
護者ではないことを指摘することし
かできません。
かといって全面的に支持できる政
党があるわけでもありません。
どの政党でも選択できる政策の幅
は限られています。
けれど少なくとも私たちは、今を生
きる痛み、同じ時代を生きる人たち
の痛み、これから先を生きる人たち
の感じるだろう痛みから目をそらそ
うとは思いません。
この痛みを多くの人たちと共有で
きれば、日本の個性は保たれ、新
たな歩みを続けられるでしょう。
ここに生きる覚悟、変らずに続ける
意思といった精神的な働きがなけ
れば、根を失います。
人間は常に、個としての充実だけ
でなく、時代を見つめる厳しい眼
も求められます。
けれど知に流されず、今のひととき
を楽しむ悦びも欠かせません。
今の世の中で自分らしく生き、身の
まわりに等身大の小さな世界を築
きたいと願うとき、この厳しい眼と、
ここに生きる覚悟と、今を楽しむ悦
びの、同時にありながらいつも微妙
に立ち位置を調節するバランス感
覚が求められるでしょう。
それは難しい道ですが、厳しい時
代だから鍛えられる思想や生活形
態があります。
今の現状に苦味を感じ、辛い境遇
にいる人たちの痛みを感じ、それ
でも日々の懸命な暮らしの中に悦
びを見いだしていく草の根の強さ
が私たちの力です。

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