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垣間見たドレスデン その1
交通にみる合理性
ほとんど休みをとらず毎日働き
続けている私を見ていると、周
りにいる人たちもしんどくなるの
だろう。
半強制的に、休んでいいから
どこかへ行けと言って、仕事を
うけ負ってくれるという。
さてどうしようかと思ったが、咄
嗟には思い浮かばない。
じわっと浮き出てきたのがドイ
ツの古都ドレスデンだった。
私の次女がドレスデンで絵の
勉強を始めて一年半たった。
その間にすっかりドイツでの暮
らしに馴染み、言葉にも不自
由なく生活しているようだ。
計画を伝えると私が滞在でき
る短い時間に行ける場所を考
えてくれたらしい。
到着した夜は観光名所が集中
する旧市街を散策して土地勘
を養いながら、ヒルトンホテル
にあるアルバイト先の日本料理
店に連れて行ってくれた。
機内食に辟易していた私には
うれしいもてなしで、ほっとして
異国にいることを忘れてしまう。
料理も日本料理の基礎をふま
えながら、奇をてらわずに新し
い世界を作っていた。
まね事が嫌いで、何でも自分
でやらないと気がすまない店主
の小倉さんの個性は日本では
衝突が多く生かすのが難しい
かもしれないが、ドレスデンで
は評価され、すっかり定着して
いる。
近くにドレスデン歌劇場がある
こともあり、音楽関係者も多く
くるらしい。
隣のテーブルにはワーグナー
を明日振る指揮者が座ってい
るなどというのは日本ではあま
りないことだろう。
奥さんの細やかに気の行き届
いた対応も日本以上に日本を
感じられてとてもうれしかった。
帰りはトラムという路面電車を
使うことになる。
大都会ではないドレスデンで
はトラムが一番に利用される
交通手段のようだ。
黄色と黒というドレスデンの市
を象徴する色彩を使ったモダ
ンなデザインで、極めて合理
的に作られている。
チケットは必要に応じて自分で
購入し、基本的には検札がな
い。
無賃での乗車も簡単だけれど、
ごく稀な検札で見つかると罰金
を徴収されるらしい。
電車の駅も同じで改札はなく、
見送りの人が列車まで来ている。
日本のようにキチッと囲って区
別しなくても、大部分の人たち
は規則を守って、秩序が保た
れている。
余計な手間やコストをかけず
に社会が成り立つ、とても合理
的な発想だと思った。
スーパーマーケットでの買い物
も、ベルトコンベアのような物
に精算前の商品を自分で置き、
レジを通過して詰まれた物を、
精算した後に自分が持参した
袋に積める。
袋がない場合はその場で買う
ことになる。
必要のないことは一切しない
という断固とした決意のような
ものを感じて、安心して信頼で
きる部分と、ある種の緊張を要
求される部分が同時にある。
しかしこうして毎日暮らしている
人たちがいるという現実の重み
は動かしがたいものとして私た
ちに迫るものがある。
垣間見たドレスデン その2
遠い店での姿勢と眼差し
到着翌日の朝は、まず近所のエ
コショップへ連れて行ってもらう。
朝8時から開店している。
ドイツは朝早く仕事をはじめ、5時
になる前に切り上げてしまうところ
が多いという。
確かに朝7時にやっと明るくなり、
5時には暗くなってしまうドイツの
冬で、街灯も少ない街では合理
的な発想だ。
その店は閑静な住宅街の角に
しっかりと周囲に溶け込んで建っ
ている。
晴屋よりは少し小さいスペースに
なじみのある品物や見たこともな
い穀類があったりする。
暖かく柔らかい雰囲気で、奥には
カフェもありきっと長話をするお客
さんが多いだろうと想像できる。
この日は他に5,6軒のこうした店を
まわった。
この店の他にもう一軒は個人経
営の店で、後は全国展開のチェ
ーン店だ。
チェーン店は日本のコンビニを少
しシンプルにした感じで、明るく
清潔感がある。
どの店も棚に整然と商品が並べ
られ管理が行き届いてる。
店によっての品揃えの個性の差
はほとんどなく、日常の都合のよ
いところで買い物をする感じなの
だろう。
場所によっては100m位しか離れ
ていないところで並立している。
他にもスーパーマーケットも数軒
まわってみたけれど、そこでもBI
Oマークのついた有機食品を売
っている。
これで全ての店が成り立っている
のだから、基本的な需要がしっか
りあって、生活に根付いているの
だろう。
最近マスタードのいいものがない
かと探している晴屋なので、注目
してみていたけれど、どこの店に
も同じ商品が並んでいて、それは
晴屋でもつい最近試食して非常
にがっかりした品物と同じだった
ので、正直言ってちょっとがっか
りだった。
もう一軒の個人経営の店は、より
生活感のある新市街の商店街に
あった。
大きさは晴屋の半分くらいだろう
か。
道路の角にある古い建物の出入
り口を店にしたのだろう。
間取りも四角ではなく階段や柱が
ある変則的な作りけれど、それを
レイアウトに利用して明るく開放
的でセンスよく使っている。
チェーン店と違う感じがするのは、
ひとつひとつの品物に気持がゆ
き届いている感覚があることで、
それは晴屋と共通のものに感じ
られた。
チェーン店のやるべきことはちゃ
んとやっていますという雰囲気と
違い、暖かく通うものがある。
オーナーだろうか、ほぼ私と同年
代の女性がひとりで店番をしてい
て、そのキリッとした姿勢と眼差し
に好感と共感を覚えた。
チェーン店が出回る前からやって
いるだろう年月の重みを感じるし、
きっといいお客さんがちゃんとつ
いているだろうと想像できる。
晴屋も客観的に見るとどうなのだ
ろうかと思いを廻らせ、遠い地で
頑張っている人を見て、とても心
強く思った。
垣間見たドレスデン その3
雲の畑、夜の帳
ドイツ行きのルフトハンザ機が成
田を飛び立ったのは、朝10時で
前日のトラックの引き売りの後の
片づけを済ませてから1時間ほど
の仮眠をとっただけの強行スケ
ジュールだった。
行くと決めてからの一ヶ月は留守
の間の品物の注文や手配、普段
私しかやらない仕事の伝達など
に追われ、これからの旅の楽し
みを想像する余裕などなく過ぎて
いった。
ぎりぎり重さの23kgに補給用の
食べ物を詰め込み、海外で使え
る携帯電話をレンタルして、やっ
と機内の窓側の席に腰をおろす
と、もうすることはない。
持っていったCDプレーヤーが
不調で音楽も楽しめないとなると、
ただぼうっと外を眺めているだけ
だ。
北海道を通過し海を渡るとシベ
リアだ。
直前に雪が降ったらしく雪原に
樹木の枝振りがくっきりと映える。
行けども行けども、ツンドラや森
林が続く。
人の手が入っているところは明ら
かにわかる。
道路の直線や不自然な木の伐
採は、上空から見てもはっきりと
区別できる。
けれど天候の異変や人間のエゴ
イスティックな開発によって私が
想像する荒廃とはずいぶんと違
う。
自然の大きな営みを感じて、これ
を守るなどというおこがましさで
なく、なるべく壊さないで少し恩
恵を受けるという謙虚さが必要だ
よなあなどと、遠い目をして光あ
ふれる風景を楽しんでいた。
次第に雲が増えはじめ、こうなる
と私はうれしくて仕方ない。
子どもの頃から雲をぼうっと眺め
るのが好きだった。
雲の色々な表情を上空から楽し
める機会などそう多くない。
マッシュルーム畑のようだったり、
竹箒で掃いたような長い筋目が
続いたり、荒々しい雲と柔らかく
やさしい雲が混在してコントラスト
が面白かったり、着陸時には綿
飴のような雲の一片一片に手が
届きそうだったりして飽きない。
すっかり旅の時間を満喫する体
勢に入っている。
そしてドイツでの二日半の張りつ
めた、あっという間のようなとても
長かったような満ちたりた時間の
後、帰りの飛行機では飛び立つ
とすぐに暗くなり、外には何も見
えないし、窓も閉めさせられる。
寝つきが悪い私は、体の疲れと
頭の緊張でかえって眠れなくな
ってしまう。
こうなると解消方法は書くことしか
ない。
ほとんどの人が明かりを消してい
る中、私は手元を照らしてノート
に向かいひたすらペンを走らせ
る。
これは悪い病気というしかない。
頭に何か書こう思うと瞬間的に
文章が細部まで浮かび、書くま
で忘れられなくなる。
書けばすっかり忘れ、何を書い
たかさえ思い出せないことも多い。
そうして頭から記憶が離れること
で、身体に沁みこむ場合もある。
疲れているのだから寝ていれば
いいのにと思いながらも、一気に
書いて8回分の連載を下書きし
てしまった。
短い時間ではあっても、それだ
け私には刺激的で、頭の中が
パンパンに膨れ上がってしまう
量の情報に溢れてしまっていた。
下書きが終わっても、あそこはこ
うしようとか、これは入れ替えた
方がいいかなどと完成するまで
は頭の隅から離れはしない。
これから年末の忙しさが始まる
までになんとか決着をつけねば
と、みなさんにもお付き合いいた
だいて、旅の余韻はまだ続く。
垣間見たドレスデン その4
古都の異空間
最初の日の9時からは娘の学校
での授業があり、参観しても大丈
夫というのでついていった。
大学の絵画棟はエルベ河沿い
で、宮殿や歌劇場、古い教会な
どが立ち並ぶ一角にある。
ドレスデンは商業ではなく、文芸
の街として栄えた場所だったの
で、元は総合大学だったものが
手狭になり、他の学部が移転し
て最後に絵画が残ったのだろう。
宮殿にひけをとらない荘重な作
りの建物で、3mはあるだろう装飾
がほどこされた重い木の扉を押し
開けて中に入ると、そこには全く
別の世界が広がっている。
観光客が多数往来する通りから
一歩中へ入ると、そこはまるでハ
リーポッターの世界だ。
白壁や石、手が込んだ作りの古
びた木が、シンプルな実用性と
学業の場としての緊張感とゆる
ぎない力を感じさせる。
入り組んだ廊下や階段を抜ける
と中庭が現れ、大きな樹が歴史
を刻み、ツタの紅葉が古びたレ
ンガに彩を添えている。
再び回廊に入ってまた曲がった
先が今日の授業のあるリトグラフ
の工房だ。
歴史を感じさせる黒光りする重厚
なプレスの機械のかたわらには
材料となる石が積まれ、壁にか
けてある教授のだろう作品もす
ばらしい。
水墨画をかじっている私には、
以前から面と線を組み合わせた
立体的表現のイメージがまだ達
成できずに頭の中にあったが、
すでにそこに実現していて、とて
も参考になった。
ここにこれただけで来た甲斐が
あったと、まだ到着して半日なの
にそう思えた。
授業はまだ続くので挨拶をし、
近くにあるツヴィンガー宮殿に
併設しているアルツマイスター
絵画館へ向かう。
有名なラファエロの「システィー
ナのマドンナ」は、柔らかな伸び
やかさ、立体感が表現されやは
り傑作だと思った。
天使の視線や人物の手などの
仕草が見事に効果を発揮してい
る。
考え抜かれ、磨き抜かれている。
しかし、私には大部分は重苦し
くて見るのが辛かった。
ごく一部の階層が得た、圧倒的
多数の人民の犠牲の上になりた
った贅沢の極み。
宮殿の雰囲気もとても荘重で、
色彩も重厚だったけれど、私に
は敬して遠ざけたいものでしか
なかった。
授業が終わった娘と合流し、自
然食品店をみて回りながら、食
堂で昼食。
河をはさんで反対側にある新市
街に忘れられたようにある東ドイ
ツ時代からあるビルの2階に「食
堂」があった。
簡素な作りで飾り気がないけれ
ど、不用意に天井からかけてあ
るチューリップらしい作り物には
笑ってしまう。
先ほどの宮殿からは数百メート
ルしか離れていないのに、この
対称は面白く感じられた。
合理的で、質実で、気楽なので、
地元の人たちが次々に入ってくる。
基本的には2種類の日替わりメ
ニューがあり、セルフサービスで、
副菜の野菜は自由に選べて目
方で買う。
一皿に、じゃが芋やソーセージ
がどさっとのり、ボリュームは満点
だ。
味は特に可も、不可もなし。
ドイツの一市民の気分を少し味
わえた。
垣間見たドレスデン その5
古い教会のオルガン
ノイエマイスター絵画館は、娘の
学校の絵画棟のすぐ近くにある。
アルツマイスターがルネッサンス
やバロックの作品が多いのに、
こちらは近代が中心だ。
より現実味をおびた表現が多く、
個人の葛藤が色濃くでているの
で、私にはより親しみやすい。
現実からどれだけ離れることが
できるかが芸術の意義なのか、
現実に即しながらもどれだけ深く
本来のあり方を掘り下げられるか
が問われるべきなのか。
一度に多くの、全く違う傾向のも
のに接することで、絵画の表現の
振幅の広さを体験することがで
きた。
今をときめくゲルハルト・リヒター
の最新作「ストライプス」を見るこ
ともできたし、まったく知らない人
のすばらしい作品に接すること
もできた。
その後、娘の萌はアルバイトが
あるので別れ、単独行動になる。
まだおみやげの買い物ができて
いなかったので、トラム(路面電
車)で移動して、さっき行った自
然食品店に戻り、両手いっぱい
の荷物をかかえ娘のアパートに
汗をかきながら滑り込んだ。
この後どこかで食事をすませて
コンサートへ行く予定だったけれ
ど、時間がなくなり食事は後回し
となり、再びトラムで旧市街に向
かう。
土地勘の良い私なのだが、娘が
言っていた方向とどうも違う。
塔を目印に探し回って聖十字架
教会に着いたのは開演5分前だ
った。
古びた教会は由緒ある建物が多
いこの界隈ではそう目立つもの
ではない。
10ユーロの料金を払って中に入
ると、いかにも教会らしい木の長
椅子がずらっと並んでいる。
地元の人ばかりで、普段着で気
楽に来ている様子で、子どもの
姿もちらほら見える。
100人ほどがいるけれどまだま
だ入れるようなのでざっと数えて
みると、2階の席も含めると2000
人くらいが座れそうだ。
外観からは想像もできない大きさ
だった。
コンサートの内容はキリストの生
涯を映像と聖書の言葉を交互に
映す無声映画にオルガンの演奏
をあわせるというものだった。
1920年代か、1930年代のレトロ
な画面に、柔らかなオルガンの
響きがかぶさって、時代を遡り、
いつの間にかその場にいるよう
な錯覚におそわれる。
大きな聖堂に決して威圧的でな
く、やさしく身体を包まれるような
豊かな響きがゆっくりと上昇して
いく。
演奏も、演奏効果や自我意識を
前面に出したものではない謙虚
で誠実なものだったのも好感が
もてた。
帰ってから調べてみると、聖十字
架教会は合唱団が特に有名な
教会で、ぺーター・シュライアー
やテオ・アダムといった私でも知
る人たちが出身という。
当時はバッハをしのぐ存在だっ
たシュッツも宮廷から来て、指導
していったらしい。
もちろんオルガンの音にも定評
があるという。
知らずにのこのこと出かけていっ
てしまう私は相当の無神経だと
いえるが、集っている人たちは
異邦人である私がポツンと座っ
ていても、誰か見咎めるというこ
ともない。
心地よく一人で音を楽しむことが
できたし、むしろ知らなかったか
らこそ、無心に音に向き合えたか
もしれない。
垣間見たドレスデン その6
プラハの豊穣と出会い
ドレスデンは3日あれば見てまわ
れるといわれているらしい。
私は娘の助けもあって、一日で
かなりの部分を見てしまった。
そこで急遽思い立って、プラハ
へ行ってみることにした。
バスなら2時間ほど、3000円位で
いくことができる。
東欧にはなぜか憧れを感じる。
特に百塔の街といわれるプラハ
の風景も楽しみだが、一番のお
目当てはとても美味しいと聞きな
がら未だに飲んだことのないチ
ェコのビールだ。
チェコのブドヴァイゼルをアメリ
カのバドワイザーがまねしたとい
う話は有名だ。
けれど世の中そう甘くはない。
ドレスデンでの1日があまりに充
実して素晴らしかったので欲を
かいたというか、期待しすぎてし
まった。
またクラシック音楽の世界の中で
の、モーツァルトとの関わりや、
スメタナの「我が祖国」での印象
が強すぎたのだろう。
とにかく人が多いのと、行きかう人
々のエネルギッシュさに圧倒さ
れ、辟易としてしまった。
考えてみれば、国の首都であり、
大きな観光地なのだから予想は
つきそうなものなのだが、しっとり
したイメージとはかけ離れていた。
元来人あたりするタイプなので、
あちこち移動する気になれず、
高台の少し静かな公園で街を
見回し、早々に地元の人が集う
レストランの地下に滑り込んだ。
確かにビールは美味しく、豊か
で、切味があり、不思議なほどに
酔わない。
パンの中にスープを入れた料理
もハーブが効いて、知らない味
に出会うことができた。
帰りのバスは満席で列車で帰る
ことになる。
ただでさえ待ち時間があるのに、
出発が遅れ予定より3時間くらい
遅い帰宅になった。
それでもその間、娘の萌と話す
時間がたくさんあった。
周りには日本語を分かる人が誰
もいないという気楽さもある。
考えてみたら、四人いる子どもの
中で一番話す機会が少なかった
かもしれない。
お互い感情を表に出さずに、黙
々と何かを作っているのが好きで、
仕事に忙しい男親と娘とはあまり
接触の機会がなかった。
話してみてやっぱり私の娘だな
と思ったし、娘も「似ていると思っ
た」と言っていた。
非常に疲れた一日だったけれど、
一見無駄なようなこの時間が旅
の一番の収穫だった。
垣間見たドレスデン その7
トラムでみかけた女の子
プラハで一番感じたのは、人の
表情の豊かさだった。
ドイツに比べると男も女も曲線的
で、感情がストレートだ。
ドレスデンでは皆無だった客引
きが次々に押し寄せ、「ニホンジ
ン?ニホンジン?」などと声をか
けてくる。
若いカップルも情熱的だ。
それに比べるとドレスデンの人々
はみな愛想がない。
四角くて硬い感じがする。
地続きで車で2時間ほどの距離
なのに、これほど人間性や言葉、
文化が違うのは私にとって驚き
だった。
娘といっしょにトラム(路面電車)
を待っている時、目の前に化粧
品店があった。
ポスターが何枚か貼ってあるけ
れど、どうも私には美しく感じら
れない。
「ドイツ人は強い女が好きなんだ
よ。みんなあごが張っている。男
女平等だから、子どもを作っても
結婚しない人も多いし、離婚率
も高いよ。子ども手当てがたくさ
んでるからなんとかなるみたい。
税金も高いけど。」と答えがかえ
ってきた。
「愛想はないけど、一度打解け
ると本当に暖かい感じがする。」
とも付け加えた。
街でもベタベタしたカップルを
見かけなかった。
男性が女性に媚びを売ることも
なく、女性も男性を支えようなど
とは考えてもいないようだ。
ドイツでの出来事で最初に印象
に残ったのは着いた当日の夜に
入ったスーパーマーケットでの
ことだ。
朝から機内食くらいで一日野菜
を食べた気がしないため、オレン
ジとカリフラワー、パプリカをとっ
てレジに並んだ。
例によってベルトコンベアに乗せ
順番を待っていたら、レジのおば
さんがオレンジが1個痛んでいる
のに気付き、かわりのものをとり
にいってくれた。
帰ってきて精算を続けようとする
と、今度はバーコードが入力され
ていない。
他の店員もやってきて金額がわ
かり代金を支払った。
その間にレジの後ろには長蛇の
列ができてしまった。
けれどその堂々とした態度で淡
々と仕事を続けていく。
日本人のように「申し訳ありませ
ん」でもなく、仕事として当然の
ことをしているという風情だ。
待っている人たちも気にしている
様子はない。
すると不思議なもので、私まで周
囲に気を使い恐縮する感じがま
ったくない。
これはこれで、楽なものだなと思
った。
同じ勤勉な種族としてドイツ人は
日本人に好感を持っていると聞
くけれど、その感性の基礎はず
いぶんと違う。
相手に気をつかい、そのことを
相手からも期待してしまう私たち。
ある意味対照的といってもいい
だろう。
特にドレスデンはプライドが高い
ことで有名だそうだ。
ドレスデンがあるザクセン州は、
昔から独立心が強く、反骨的で
「ザクセン人」と言われ特出した
人たちだった。
州によって物価が違うドイツで、
旧東ドイツは物価が安めだけれ
ど、特にザクセン州とりわけドレ
スデンは物価が安いという。
文芸や観光を中心として栄え、
商業の地ではないためだが、か
えってドレスデンの誇りと結束を
強めているようだ。
教会のコンサートでも私は邪魔
にされることは決してなかったけ
れど、私が入り込むことができな
いコミュニティーが存在すること
を肌身で感じた。
何をしても気にされることはなく、
気楽に過ごせるドレスデンだけ
れど、私たちには見えない深い
根がある。
トラムに乗っているとき、一人の
若い女性が乗ってきた。
周囲と明らかに雰囲気が違う。
地元の人であることは間違いな
いと思うけれど、周囲に気を配っ
ていることが覗える。
息をしながら、周りの雰囲気を感
じとろうとしている。
レンガや鉄の間に、柔らかい土
が積もり、その中に小さな花が一
輪咲いているようだ。
こうした人がどういう風にドレスデ
ンで生きていくのかなと、和食レ
ストラン「おぐら」のおかみさんや
娘のことを思い出しながら、そっ
と眺めていた。
垣間見たドレスデン その8
小さな家
娘が住んでいるアパートがある
ジッキンゲン通りは、タクシーの
運転手も知らないマイナーな裏
通りだ。
名所、名跡が立ち並ぶ旧市街か
らえんえんと続く古い街並みの
中にある。
近くにはワグナー通りなど、実際
に住んでいた音楽家にちなんだ
ものもあり、日本だったら一軒あ
るだけでも話題になり、観光客が
やってくるだろうと思うような家ば
かりがずっと並んでいる。
その間に広大な公園がいくつか
あるけれど近代的な建物は見か
けず、昔からの雰囲気が保たれ
ている。
家々の色あいは派手ではなく、
アースカラーを基調として、落ち
着いているが同じものはなく、そ
れぞれに個性を持っている。
玄関の扉は大きく立派で、窓枠
も装飾のあるものが多い。
宮殿の延長線上にある感じだ。
そうした中で私の心に残った一
軒の家がある。
少し大きな通りからジッキンゲン
通りに曲がる角の比較的小さな
家だ。
他の家は外壁が丁寧に塗りこめ
られ、美しく着色されているけれ
ど、その家は土壁の質感をその
まま残してある。
茶色とからし色の中間のような温
かみのある壁の色に、シンプル
な窓枠はクリーム色で、雨戸の
若草色に近いミントグリーンが効
いて、鮮やかなコントラストと軽快
な印象を作っている。
家の裏手の台所から続いている
だろうと想像できる生活感があり
ちょっと雑然とした感じの場所に
だけ少し臙脂がかった赤が使わ
れているのがとても効果的で、
感性の伸びやかさを感じさせる。
娘が、この家にはおじいさんとお
ばあさんが住んでいて、休みに
は孫が泊まりにきていることもあ
るんだよ、と教えてくれた。
残念ながら見かけることはなかっ
たが、夜に通り過ぎるとき白壁に
大きな絵がかけれらている内部
が垣間見えて、落ち着いた暮ら
しぶりが感じられる。
荘重で豪華な宮殿よりも、この家
の簡素な佇まいが私をとらえる。
ゴージャスな薔薇よりも、野に懸
命に咲く一輪の花に心を動かさ
れるのに似ている。
ドレスデンでは、「システィーナの
マドンナ」や、空襲で瓦礫となっ
た石を拾い集め修復した気の遠
くなるような努力の結晶の聖母教
会など、多くの美しいもの、素晴
らしいものに出会った。
それでも、多くの人をひきつけ、
圧倒的力を誇示する美よりも、楚
々として人しれず、自ずからある
ような美しさが私を惹きつける。
権威や権力を好まないのも、そう
した嗜好からきているのだろう。
あらためて自分と向き合う機会と
なった。
もうひとつ心の片隅で、明確には
ならない思考が明滅する。
私がドイツを思い浮かべるとき、
まずイメージに浮かぶのが音楽
だ。
バッハ、モーツァルト(ザルツブ
ルクで生まれたがウィーンで長じ
たためオーストリア人たちはドイ
ツ人ではないと言うけれど)、ベ
ートーベン、ブラームスなどの作
曲家たち。
この歳になるまでに、どれだけ世
話になったかわからない。
苦しいときも、楽しいときも、心の
糧としてきた。
けれど私がこの地で感じる、シン
プルでストレートな、ある意味愛
想のない感受性と、それらの音
楽が必ずしも結びつかない。
余分なものがなく本質を極めよう
と営々と努力する生真面目さや、
様々な蓄積の後、歳をとってから
日本人にはなかなか得られない
豊かさや暖かさが感じられると
ころは、共通の基礎としてあると
思うけれど、芸術を芸術たらしめ
るフレーバーのような何かが感じ
られない。
けれど考えてみれば、私たちの
日常の中に日本の伝統芸能の
美しさ、内的な集中による緊張
感を見いだせるかというと、とても
そんなものがあるとは思えない。
その時思い至ったのは、芸術と
いうのは日常や現実に根ざしな
がらも、同時にそれから離れ違う
世界を創出したり、違う角度から
人間を再発見する視点をもった
ものなのだということだ。
今あるものに働きかけ、あるいは
そこから出発し、違う世界、理想
の美であったり、命の究極の燃
焼であったり、深い情動の発露
であったりするかもしれない、そ
んな普通にはあり得ないものを、
天才たちが必死にこの世につな
ぎとめたものだ。
美しい理想を追求しただけでな
く、これでなくてはダメだという
異議申し立てが潜んでいる。
そうではない、豊かさをひたすら
享受するものを私には芸術とは
感じられない。
数においても、力においても圧
倒的な他者たちの世界に異邦人
としていることで、日常だけでは
飽き足らずに求めてしまうもうひ
とつの世界への希求をはっきりと
自覚することができた。
アメリカが好きではないのにジャ
ズを好み、ヨーロッパへの憧れは
ないのにクラシック音楽を愛する
理由も少しわかった。
あり得ないものを実現しようとする
意思と努力が私にとって生きる
意味であり、その足跡と証と道標
として芸術を求めている。
晴屋という八百屋もその延長とし
て、この世ではめったにありえな
いものでありたいと願っている。
ドレスデンでの二日半は濃密で、
私にとって数ヶ月分もの出会い
や刺激に充ちていた。
時の流れ方が違う場所で、美し
ものに触れ、自分とも新たに向き
合えた。
こんな機会を与えてくれた、ドレ
スデンと娘、快く送り出してくれた
お客さんや晴屋のスタッフたち
に感謝し、報告を兼ねてこの文
章を贈りたい。