作る楽しさ耕す人たちその6~10「料理人と海外とのつながり」 枉駕の本多敏さん みまさん 有機ナッツの下村さん ロバ屋の山内さん バリの塩の竹内さん

作る楽しさ耕す人たち
その6 枉駕の本多敏さん
  完成とバランスの先にあるもの
枉駕が東久留米に開店して今年
で5年目になる。
赤と黒の強いコントラストを持った
看板と、シックで落ち着いた中の
雰囲気が人目を引く。
あっさりして、素材を丁寧に扱った
調理も、他には無い主張を感じる。
東京の片隅の東久留米にはちょっ
と似つかわしくない、高級感と洗練
された感覚を持つ店として、異彩
を放っている。
月に一度の料理教室に通って、
私の味付けや料理が全く変った。
さっぱりしているのに、奥行きを感
じさせるようになってきていると思う。
晴屋の斜め前にあることで、私も、
晴屋も大きな影響を受けている。
オーナーシェフの本多さんとの初
対面を私も覚えている。
コックのユニフォーム姿の本多さん
は、すごく凛々しくて格好いいけれ
ど、普段着のラフな格好だと、普通
の若者になってしまう。
すっきりしたお兄さんが、いきなり
店に入ってきて、「前の店をやろう
と思うけれど、どうでしょうか?」と聞
いた。
その店は、中国人の夫婦がやって
いて、安くてアジアっぽい味付けで
私は好きだったので、「止めたほう
がいいですよ。」と言って、けん制
しておいた。
しかし、比較的安い物件で設備が
整っていたことと、良い物を出して
いればどこでもやれるいう自信に
押されて、本多さんは借りることに
決めた。
最初は私たちは残念に思っていた
が、味を知り、これは今までの中華
料理とは根本的に違うと感じ始め、
二子玉川の有名店「吉華」の料理
長で、マスコミにも取り上げられた
経歴がある人だということを知り、
この店がここにあるということは、き
っと凄いことなのだと認識し始めた。
抜群の技術とセンス、そして理想
を求めながらも、ある物を生かして

それなりに仕上げてしまう現実的
対応力は天才的といっていいだろ
う。
努力も惜しまない。
店を持とうと決心してからは、吉華
の閉店後、他店へ行って鍋を振り、
(料理を作り)、朝は喫茶店でバイト
もした。
人望もあり、収入もそれなりにあっ
たに違いない。
そして、始めた枉駕は、その華やか
なキャリアの割には、地味なスタート
だったかもしれない。
バブルも終わっていた。
実力の割りに低迷する中、更に晴
屋に出会ってしまった。
偶然、故郷が同じ盛岡で、私とは
一回り違う馬年だということもあり、
親しく付き合ってもらい、こちらは
得る事が多かったけれど、本多さ
んには、手かせ足かせを付けてし
まった所もあっただろうと思う。
一般に中華料理は、粗悪な材料
でも美味しく仕上げるのが技術だ
し、腕の見せ所と言われている。
本多さんはその中では、薄味だけ
れど切れ味のある味付けをし、材
料にも、元々こだわりを持っている。
しかし、晴屋の野菜はオーバー・
クオリティで、味が濃いので、味付
け無しでも美味しく食べられてしま
う。
「楽です。何もしなくても、いいです
から。」というけれど、力を出し切れ
ないジレンマはあるだろう。
それでも、味付けはますます薄く
なり、中華的な味から離れてしまう。
濃厚で、分かりやすい一般的な味
を求めて来る人には、物足りなさを
感じさせる。
調味料もある意味、中華では素材
以上に大事な要素だけれど、時間
をかけながら、本多さんはほとんど
を晴屋の物に切り替えてしまった。
永年使った調味料は、味の効き具
合や風味など、身体に沁み込んで
いて、プロが調味料を変える事は
大変なことだ。
醤油は四川料理では伝統的に、
キッコーマンだし、塩も公社のピリッ

と塩辛く効くものを使う。
晴屋の調味料は、優しく素材の味
を引き出す。
そのためか、開店当時の覇気に溢
れ食べる人を切るような鋭さが今は、
影を潜めている。
上品で洗練され、柔らかな味だ。
これ見よがしな、プロの腕の見せ場
を作ろうとしない。
自己主張を強くするよりは、素材の
味を生かし、身体に優しく、心を豊
かにする料理を、追及している。
しかし正直言って、食べ続けてい
ると、どこか物足りないのも事実な
のだ。
芸術的なその時一回だけの究極の
瞬間を求めるのか、職人的ないつ
でも変らない安定した味を求める
のか。
素材の味を生かしきる事を目指す
のか、来た人の満足を目指すのか。
それらのどちらかではないにしろ、
どの辺に身を置くのか手探りで、
まだ自分を出していない。
これでやる、これしかないという所
まで、自分を追い詰めていない。
そうした、まだ曖昧さを残した姿勢
が味に出ているのかもしれない。
「全部出してだめだったら怖いから
まだ全部はやっていない。」と自覚
している。
一般にプロというのは、ある専門の
分野で技術を持ち、責任を持つか
わりに、コストを要求する人たちだ。
しかし、本多さんは他のコックたち
が持つ、味覚だけは部分的に鋭い
けれど、他のところは鈍く、新しい
事に取り組めずに、今まで通りを
続けるだけの肥満した体と感性と
は、ほど遠いところにいる。
若々しく、繊細で、傲慢さや鈍さを
感じさせない。
これだけの味と完成度がありながら、
まだ力を残し、先があるというのは
凄いことだ。
その枉駕と本多さんに、最近少し
変化が起きている。
枉駕で使うスープは2種類あって、
鶏のささみと豚の赤身の挽肉でとる
清湯(チンタン)という超高級スープと、

毛湯(マオタン)という鶏のガラでとる
汎用の物がある。
以前料理長をしていた吉華では、
老鶏(ロウチイ=年とった廃鳥で肉が
固く食べられないがダシはよくで
る)を使っていた。
しかし、枉駕では質のいい老鶏が
手に入らず、普通の鶏ガラを沢山
使う物量で味を出していた。
それが最近、活性水でお馴染みの
BMWの技術を使った無薬の鶏の
ガラが手に入るようになった。
これが、すっきりしているのに、深い
コクがあってとても美味しい。
例えば湯麺は、以前の物は少し毛
湯の臭みがあって私にはきつかっ
た。
酢と山椒を入れてバランスをとって
いたものが、今度のはさっぱりして
いて、なお深い旨みと満足感があ
る。
今まで出来なかった切れ味あるコ
クを料理に加える事がことができる。
同じく無薬のむね肉ともも肉も加わ
り、枉駕は新しい武器を手に入れ
たことになる。
本多さんは今、37歳。
今年少し迷いながらも、店の契約
の更新をした。
次の5年が過ぎれば、42歳。
厄年を過ぎ、より自分の世界を築
いた本多さんを見るのは楽しみだ。
その時には、もう一度本多さんにつ
いて、もう少しましな文章を書ける
よう、よりレベルアップした枉駕の
要求する食材を揃えられるよう、
私も頑張っていきたい。
(この文章は2004年(晴暦24年)5月に晴屋通信に掲載したものです。
次の契約更改も済ませ、店の内装も構想しながら進めています。
より静かで、柔らかなものになっていきそうです。
看板が今は外されてます。
中華の文字はどこにもありません。
ちらし等にはオーガニックOHGAおうがと書かれていることが多いようです。
中華にこだわらず、素材の良さを生かし、食べた人が元気になるような食事を
提供しようと言う姿勢がうかがえます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

作る楽しさ耕す人たち
その7 枉駕の本多みまさん
  食べることは生きること
少女時代のみまさんの映像を見た
ことがある。
「レッツゴー!ヤング」というNHK
の番組で、もう20年も前のものを
衛星放送で再放映した物だった。
番組に準レギュラーとして出演して
いたらしく、「コズミック・インベンシ
ョン」というバンドのフロントで、ドラ
ムを叩きながら、メインボーカルを
とっていた。
リズム感が良く、音感の確かだった
けれど、顔の表情は全く子供で、
今のシャープでスリムな美しさとは
違い、目一杯パッツンパッツンの
ほっぺただった。
そこから考えれば、今は30ウン才
なのだけれど、とても見えない。
不動産屋さんが、本多さんの娘だ
と思ったくらいだ。
晴屋との付き合いは本多さんより
長く、十年以上になると思う。
晴屋にいた若い店員たちにも非常
に人気があった。
こんな容姿の話から書くのは始め
てなのだけれど、これには少し意図
がある。
もちろん顔、形や体つきはその人
の個性を現わすけれど、どうもみま
さんの個性を端的に示すのは硬い
頭の中にあるような気がするのだ。
だから、見た目とのギャップを感じ
てもらいたくて、オードリー・ヘップ
バーンと勝負できそうな容姿のこと
から書いてしまった。
しかし、この人は歌がうまくて、楽器
が出来て、美人なだけではない。
優れた料理人でもある。
華やかな芸能生活から離れて、皿
洗いから始めて、コックの立場まで
なった。
味や、匂いの感覚もすごい。
細かな香りをかぎわけ判断する。
味覚や嗅覚に集中しているだけで
なく、完全に一体になっている様子
が、こちらにも伝わってくる。
それは独特で、作られたり、育てら
れたりしたものではない。

だから他人には理解できないこと
も多い。
今までの職場でも、みまさんの感覚
に付いてこれる人が殆どいない。
まかないに出てきた料理でも、口に
合わないと食べない。
だから、味覚という基本的な部分で
孤立することも多かったろう。
料理に使った水の質まで感じ、「こ
の水は水道水で気持ち悪い」なん
て横で言われたら、いくらプロ同士
でも困惑するに違いない。
しかし、世の中、捨てた物ではなく
て、みまさんの感覚に匹敵するもの
を持つ相手がいた。
若い頃はけっこう遊んでいたらしい
その男は、離婚してしばらく一人で
料理作ることしかしていなかった。
その男にとっても、自分の感覚に
対応するものを持つ女性に出会っ
たことが無かったのだ。
というわけで二人は恋に落ち、共に
生活することになった。
「食べることは、生きること」というみ
まさんは、食べる中には男も含まれ
ていると言って笑っていたけれど、
本多さんのどこがいいんですかと
聞くと、即座に「エッチなところ」と
きたものだ。
からっと、あっけらかんとした感性
で、くもりや陰鬱な感覚が全くない。
これだけ美人でスタイルもいいの
に、女性らしい潤いや柔軟性とは
違うところにいる。
だから、かえって女性から妬まれ
たりすることがない。
そんな軽い会話の後、みまさんの
本来の顔が現れる。
「んー、感覚的にもなのですけれ
ど、料理をかたちにし、実現する力
がすごいと思います。」
まるでどこかのお姫様であるような、
楷書体の答えが返ってくる。
この硬質なものはどこから来るのか。
親の都合で、子供時代に三度の
夜逃げを経験し、家族では最年少
でずい分辛い目にもあったらしい。
感覚が鋭利でごまかしが出来ない
し、頭の中で思い立ったら燃料切れ
まで止まれない、ブレーキの無い

機関車のような性格は、攻撃的な
よりは防衛的な意味があるのかも
しれない。
若い時、電車賃が無くて、道にシ
ートを敷いて、服を売り、仕事に行
った。
まだフリーマーケットなどという物が
無い時の事だ。
無鉄砲というか、一途と言おうか、
やろうと思い立ったら、普通では
考えられないことをして、やりとげ
てしまう。
みまさんは枉駕でデザートを担当し
ているけれど、見た目に美しいだ
けでなく、常識に縛られない斬新
さと、感覚に直線的に切り込んで
くる香りや素材感を盛り込んでい
る。
それは、みまさんの性格そのものだ
いう気もする。
くどさや濁りや雑味の無い味という
点では共通していても、本多さんの
静かさを感じる味とはある意味対称
的な、ワイルドでストレートな要素
を多く含んだ味だと思う。
だから、この二人の料理の組み合
わせは面白い。
しかしみまさんは、本多さんの中に
自分以上の料理の実現力の可能
性を見つけたのだと思う。
そういった意味では、枉駕は二人
にとって職場であり、家庭の一部で
あり、感覚の追求の場であり、世と
のつながりの元であると共に、子供
でもあるのかもしれない。
夫婦でもあり、ライバルでもあるいう
のは、楽しくも、厳しい関係なのだ
ろうと想像するけれど、私のような
平凡な人間には出来ないことを、
二人なら実現できるだろうと思う。
夜、仕込みをしていると、片方が終
わり、「帰りましょう」いうことになると
もう一方が「もう少しで切りが付くか
ら」というと、「じゃあもう少し」とやっ
いるうちに、お互い帰れなくなって
しまう、そんな日々の連続だ。
枉駕の品質はそうして維持されて
いる。
もちろん、多分、緊張関係だけでは
ないだろう。

この写真は二人で京都に旅行に
行った時に本多さんが撮ったもの
だ。
往復深夜バスの倹約旅行だけれど、
旅費はみまさんがフリマ(フリーマー
ケット)で貯めたものだ。
写真には、普段見ることが出来ない
ゆったりした地の表情が出ている。
他人に気を使うことが多いみまさん
が、力まずに少しとろっと抜けた表
情で、いる。
その信頼を引き出せる人間が目の
前にいるからだろう。
誇り高く、名誉を重んじ、フリマの
女王!でもあるみまさん。
孤高の求道者のイメージのある本
多さん。
二人は料理の他に、何か面白そう
なものを拾ってきて活用してしまう
共通の趣味?を持っている。
刺激的な関係をこれからも続けて、
二人ともよく食べるのに、きっと
太れないだろうな。
(この文章は2004年(晴暦24年)6月に晴屋通信に掲載したものです。
現在みまさんは枉駕を卒業し、自分で新しい店を持っています。
保谷駅徒歩5分にある「レ・アドン」というフレンチと薬膳を組み合わせた料理を
だすお店です。
詳しくはホームページのお知らせの欄をご覧下さい。
またレ・アドンとは「主よ」という意味のラテン語ということで、聖書の勉強会も開いて
いるようです。)

本多さんとみまさんは現在山梨の長坂にある素透撫というお店をやっています。

詳しくはホームページ内の以下のページをごらんください。

http://hare0808.com/2019/08/04/%e5%b1%b1%e6%a2%a8%e3%81%ae%e7%b4%a0%e9%80%8f%e6%92%ab%e3%81%ab%e8%a1%8c%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%8d%e3%81%be%e3%81%97%e3%81%9f/

 

 

 

 

 

 

作る楽しさ耕す人たち
その8 ネオファームの下村雅昭さん
  海外+農業+貿易+対話=ナッツ
風貌は一言で言えば、愛嬌のある
イノシシだろうか?
今や自然食品業界でナッツやドライ
フルーツの最大手のネオ・ファーム
の社長・下村さんは、少し関西弁を
交えながらよくしゃべり、笑う。
「メーカーを信じちゃだめですよっ
て、言ってるんですよ。自分で確か
めていかないと、騙されちゃう。」
今でも対面販売が好きで、卸先の
小売店の店頭に立って、ナッツの
試食販売をしている。
心ある消費者に出会ったときに、思
わず出てしまう一言だ。
ネオ・ファームでは多くの物を、自分
の眼で確かめて、海外の有機農法
の生産者に注文する。
下村さんは、今、原点に帰ってなる
べく直接、小売店や消費者とコミュ
ニケーションをとるようにしている。
売り上げを大きくするより、むしろ、
限りある生産物の中での小さな規模
を考えてもいる。
だから、多くの大きな流通が売り上
げを優先し、「有機」という名称があ
れば何でもいいという風潮には懐疑
的だ。
永く付き合い、関係や商品を育てて
いくには、安全というだけでは足り
ない。
「国境は関係ない。話してると違う。
畑で話していて、心のこもった人だ
なあと感じた人だと、問題も起きない
し、長く付き合える。それをどうやっ
て品物にのっけていくかが、次のス
テップです。」
しかし、有機農業を取り巻く環境は、
日本と同じでアメリカでも厳しい。
「有機農業も昔は良かったって生産
者とよく言うんですよ。広めていこう
という心意気でやっていたのが、今
は言葉や数字の管理になっている
んですよ。決まりごとが多い。税金
が高くて、人を頼むのも大変で、こ
の賃金なら何フィートまでの木に登
っての剪定や収穫の仕事、それ以
上の高さなら賃金を上げなければ

ならないなんていうのもある。
だから後継者が育っていないんで
す。69歳の生産者が、今年は出す
けど、来年はわからん、なんて言っ
てきている。」
有機というだけなら、世界中から商
社を通じて、簡単に買うことが出来
る。
しかし、それでは意味が無い。
生産者を知り、消費者に確実に届
け、その反応を返していかなけれ
ば、納得できない。
いつでも、真直ぐ、一途なのだ。
この世界に入るきっかけもそうだっ
た。
造り酒屋に生まれ、兄が大根踊りで
有名な東京農大の醸造学科に入学。
大学のパンフレットを見て、拓殖学
科というの見つけ、「ビビビっ」と来
て、親の反対を押して全く経験の
無い農業の道に入った。
しかし、トマトと胡瓜の葉の区別も
つかない状態での、週5時間の実
習では役に立たず、仲間と農家を
一軒畑ごと借りて、「わらぶきの家」
で共同生活を始める。
一年休学して、タイやマレーシアで
農業の実習もした。
しかし、その経験が方向を転換さ
せる。
日本からの援助のばら撒きで、農薬
や化成肥料を使って、数字の上で
の成果を求める、お役所仕事の援
助に疑問を感じた。
電気も水道も援助頼みという状況
の中の現地の農民から、
「お前はいいよな。帰る場所があっ
て。俺たちはずっとここで生きていか
なきゃならない」
と、問われもした。
卒業して、どうしようかという時、自分
の中のキーワード、海外-農業-
貿易-コミュニケーションがつなが
って、貿易会社に就職した。
農大出身者は、サラリーマンを普通3
年持てばいい方といわれる中、5年続
いたある日、ショックなことがあった。
テレビで「山岸会」の報道特集をし
ているのを見ているのに、それに無
感心、無感動な今の自分に気づい

てしまった。
学生時代に複雑な思いをして見て
いたものに対して、何の反応も起こ
せない。
これではいけないと一念発起し、
わらぶきの家で、農業で身を立てよ
うとした。
生協や宅配などで頑張ったが、生
活できるまではいかなかった。
得意の語学や貿易会社での経験を
生かした、副業のナッツ類の輸入が
好評で、平成九年畑を返し、ナッツ
、ドライフルーツに専業になった。
紆余曲折や、挫折ももちろんあるの
に、何も無駄になっているものがな
い。
全て、今の仕事に生きている。
だからこそ、ナッツなのだ。
「基本は農業。日本にあるものは扱
わない。生ものはやらない。農業は
潰さない。」
これが絶対の原則だ。
乾物が扱いやすいという以前に、
農業への深い尊敬という基準がある。
そして、いいもの、美味しいものを
作るのは有機農業だという認識も。
「百姓になりたいけどなれない。
卸だけではあきたらない。中途半端
なので、器用貧乏が私の憧れ。」
と本人は言うけれど、美味しいもの
だけでなく、こちらが????と思う
ものも時々企画してくる下村さんだ
が、この自分で作り続ける感覚は、
農業の現場に近い。
土日には、ご飯を作り、子供の相手
もする。
この健全で、前向きな発想と行動力
が、他には無い海外とのつながりと
流通の形態を作ってきた。
決して、中途半端ではない。
種を蒔き、育て、待ち、収穫するの
が農業。
人間関係が畑で、アプローチが種
蒔き、対話して育て、待ち、収穫す
るのが生の農産物でなく、乾いた
果物や木の実であるということだ。
そして、幸せなことに、食べる人の
顔を見て、反応を知ることもできる。
メーカーや農家には、なかなか出
来ない体験だ。

ナッツを扱う楽しみは何ですか?
「素材に触る、うれしさですね。畑か
ら直接、ほとんど誰の手にも触れな
いで来ているわけで、生命そのもの
を扱っている気がします。」
木の実には、一つ一つが芽吹いて、
生命になる完全な力を宿している。
実のある仕事なのだ。
いじって、ブレンドして、試して素材
に向き合い、オリジナルの原料を超え
た味を出している物もある。
例えば、「サラダにおいしいナッツ」
は、南瓜・ひまわり・アーモンド・くるみ
の実のブレンドで、それぞれが好評
な美味しいものなのだけれど、豊か
さや切れ味、歯ざわりと満足感が増
し、止まらない味だ。
永く食べて飽きない、地味で滋養の
ある豊かさを求めている人は、是非
一度お試し下さい。
(この文章は2005年(晴暦25年)4月に晴屋通信に掲載したものです。
下村さんはこれ以降に少し方向転換をし、拡大と発展を前提とした仕事から、
小規模で内実のある形態にシフトしています。
店頭に自ら立って、消費者に直接訴え、手渡すことにも積極的です。
国産のドライフルーツも企画し始めて、確実に思いを形にしています。)

 

 

 

作る楽しさ耕す人たち
その9 ろばやの山内智晴さん
  旅とフェアトレードと経済の間で
ろばやの山内さんは静かに、少し
高く、早い口調で話す。
丁寧にきちんと、頭の中にあることを
伝えてくれる。
言葉を大切にしているという感じが
伝わってくる。
ろばやは武蔵小金井の店と、国分
寺の焙煎工房兼店舗の他に、有機
栽培を中心とした珈琲や紅茶、食
品の卸しをしていて、晴屋にもその
商品は並んでいる。
ロアンさんとの付合いがあったので、
最初はあまり積極的には取引をし
ていなかったのだけれど、いい物
の品数が増えるとかえって選択の
余地が広がっていくためか、ロアン
の売り上げもほとんど落ちずに、よ
く支持され、売れている。
品物と一緒に時々届けられてくる
通信には、商品の情報の他に「ろば
の雄叫び」と称して、なかなか普段
言えないようなことや、少し過激な事
が書かれていたりする。
けれど、ホットなのは言葉と内面で、
物腰は穏やかだ。
ヤクルトの古田捕手を小柄に細くし
たような感じと言えば少しは、イメー
ジが湧くだろうか?
仕事として扱っているのは有機栽培
や無農薬の珈琲や紅茶、それに少
し珍しくて、そう高くは無い、おいし
い食べ物たちだ。
それはドイツの黒いライ麦パンだっ
たり、タイの無添加グリーンカレー・
ペーストだったりする。
そこには、生きる基準になっている
「旅」の経験が色濃く反映している
ようだ。
ろばやが東久留米の滝山団地にあ
った店をたたみ武蔵小金井の店を
開くまでのしばらくの間も旅を続け、
ヨーロッパやアジアで自然食品店や
産地を見てまわった。
でも、どうして、珈琲や紅茶なのだ
ろう?
「彼女(共同生活している徳山さん、
間に一男あり)が趣味でやってたん
です。焙煎屋に出入りして、まかさ

れて珈琲を焼いていた。団地の風
呂をどけて、焙煎機を入れて焼いて
近所から苦情が来たりもしていた。
滝山で自然食品店をやっていた時
は半分は珈琲をやってたんですよ。
それがだんだん珈琲の方が大きく
なってきたというか。」
以前に比べて珈琲や紅茶の味に
メリハリが出て美味しくなってきてい
るような気がするんだけれど?
「二人、味の好みが全然違う。それ
でいつも確かめているわけですよ。
味が変わると怖いから。酸味系は
難しいから彼女、深煎りは失敗が
少ないから僕が焼いている。
本当は珈琲好きの人はオーガニック
じやなくていいわけですよ。それし
かない珈琲焙煎屋なんていうのはな
りたたないんですよ。珈琲は嗜好品
なんですよ。自然食の人の無農薬
ならなんでもいいという発想にも不
満はあるし、焼き方で味もけっこう
変るので、オーガニックは美味しい
んだと広めたいという気持ちが起こ
るんですよ。色々な豆を焼いてみた
いという気持ちも起きるし。で、オー
ガニックの方が美味しくなってくるん
ですね。もたれないし。味で勝負し
たいんですね。」
フェアトレードはどう取り組んでいる
んですか?
「有機ペルー豆は60t日本に来てる
んです。それで全部なんです。普通
より30~40%高いんですよ。どうして
高いんだか分からず15,6年間来て
いるんですけど、一つには代わりが
きかない。ここしかないから不透明
なんです。どこもそうなんです。フェ
アトレードというのは独占的で、生産
者にどれだけ行っているのか誰も
分からないんです。商社がやってい
る事と似てるんですが、他のところと
違うのは競争が無いんです。だから
良心が全てです。混ぜ物は無いで
す。それは信頼出来るかなと思うん
ですが、利益配分を疑っているん
です。」
何がフェアなんだろう?
「今まで輸出できなかった人たちが
共同組合を作って、協力しあって、
新しい販売ルートができる。利益も

公平に分配する。これはフェアです。
でも、インドは難しい。ダージリン(地
方)に行くと90位しか農園が無いん
ですよね。オーナーというのは地主
制ですよ。個人が経営していて、後
はみんな働いて。インドは貧しいか
ら外貨を稼ぐという意味ではフェア
トレードというイメージを持つことも
出来ますよね。でも働いている人た
ちには関係無いわけですよ。その
事はフェアトレード・カンパニー(グ
ローバル・ビレッジ)に聞いたんだけ
れど、全然回答が無いんです。ペ
ルーなんかは農協のような形で二千
人位でやっていて、フェアトレード
として売っている人たちもいるんで
す。どうしてそれをウチがフェアトレ
ードと言わないかというと、商社が
引っ張って(介在して)いるんです。
今の現状はあまり深く考えずにイメ
ージでやるというのが、商売上はい
い。物によってはラベルにフェアト
レードと書いてあります。
日本のフェアトレード団体は大きく
なっているけれど、本当に現地が
よくなっているかどうかは分からな
い。本当には。フェアトレードはあく
までビジネスなんですね。いい部分
だけを取っていく。けど、僕らが旅
して作っている所を見学していると
違う物が見えてくる。貧しいエリアを
廻るのが好きなんですよね。行けば
必ずその人の目線がありますよね。
生きる上での刺激になるんですよ。
ラオスの山の中にね、草木染で機
織を教えている人の所にいったん
ですけど、いい物だから日本に出さ
ないんですかとか聞きますよね。そ
うすると面白いんです。「出さない」
と言うんです。ラオスは貧しいけれど
まずラオス国内でちゃんと売りたい
んです。フェアトレード・カンパニー
って日本とかヨーロッパの雑誌とか
で西洋の今を持ち込んで、文化に
合わせた物を発注するわけです。
あくまでも働いている人たちは自分
たちの日常とは違うわけです。輸出
のためにヨーロッパとか、アメリカと
か、日本の流行を追わなくっちゃな
らない。ラオスの伝統を守るために、
ラオスの人たちに買ってもらえる物

を作りたい。余裕があったら海外に
も出すということなんです。フェアト
レードやっている人の感覚とはあい
入れない。
珈琲、紅茶は栄養になりませんよね。
外貨を得るための手段で、先進国に
経済を依存した構造なんです。ぜひ
とも買う物ではないんです。自分た
ちの食べ物を作るのを止めて、お金
になにる珈琲、紅茶を作るのがいい
かどうか、考える価値があると思うん
です。
それとアフガンから谷山さんという人
(JVCスタッフ)が帰ってきて、刺繍を
5枚持ってきたんです。それは物の
売り買いが出来ないものなんだそう
です。文化らしいんです。もらうしか、
金で買うという発想が無いらしいん
です。貧しいエリアだけれど、西洋
の価値では無いものがまだあるん
です。」
ろばやの今後の課題は?
「経済的自立ですね。まだまだ食っ
ていける状況ではない。」
経済やお金の数字の上での「発展」
を目指した世の流れの中で、本来
の人間のあり方を守るのはますます
難しくなっている。
ロバのように頑固に地に足を付けて
生きることと、経済的に潰れない状
況の両立には余程の覚悟が必要
だと思う。
雄叫びが、負け犬の遠吠えでなく、
本来の人の生きる道を指し示すも
のになるか、これからも見届けたい。
ろばやの製品の中で特にお奨めな
のは、珈琲ではガヨマウンテン。
濁り無くすっきりしてしかも深い。
どこか紅茶の風味も感じさせる。
紅茶では、アールグレーが一押し。
天然ベルガモット(柑橘系)の爽や
かで切れのある香りがうれしい。
セカンドフラッシュのダージリンは
入れ方が少し難しい気がするけれ
ど、うまくいった時は抜群の味だ。
手探りしながら世界から集めた、深
い感覚に届く味が楽しめる。
(この文章は2005年(晴暦25年)5月に晴屋通信に掲載したものです。)

山内さんは2017年に逝去されました。

ご冥福を祈ると共に、足跡をたどる思いで文章を捧げます。

 

 

作る楽しさ耕す人たち
その10 竹内健さん
バリ、見えない光を求めて
竹内さんの本来の仕事は、博物館
の立ち上げや改修・改善、展示の
プロデュースだ。
インドネシアのバンドンとバリ島で
10年間暮らすうち、言葉も身に付
き、生活も根付いてしまう。
2年ほど前に区切をつけて帰国し
たけれど、人に頼まれてバリの物を
提供するうち、仕事として卸すよう
になった。
彼が持ってくるものたちには、科学
を志す者が求める完全さと、プロデ
ューサーとして現実を見据える美
的センスが息づいている。
それは、バリ・クサンバの塩だった
り、類を見ない使い心地の石けん
だったりする。
竹内さんは、バリやバンドンでいっ
たい何を見、何を感じていたのか?
無口な私が、更に無口な竹内さん
を相手に、酒に頼ってのインタビュ
ー。
翌日は数年ぶりに、軽い二日酔い
になる。
週末の夜の、薄暗い晴屋で、5時
間にもなるインタビューは、バリ、
バンドン、塩、波動、長石、火山、
ミネラル・バランス、活性水、屋久
島、御蔵島、バクテリア、花崗岩,
地磁気の反転、地球膨張説、ル
イボス茶、マンゴ、食べ物、音楽、
アート、言葉などなどとつながり、
お伝えできるのは、ごく一部だ。
途中、岩石や鉱物、火山の話しに
なると、急に目が輝いて楽しそうな
顔になり、信州大学で地質学を専
攻していたルーツを垣間見せる。
普段の髭をたくわえた国籍不明の
静かな男という印象とは違う、少年
のような素顔を見る事ができた。
では、10年ぶりに帰った日本の印
象の良いところから。
「役所の手続きの早さですかね。
むこうではそうは、なかなかいかな
い。それと公共交通があって、時
刻表通りっていうこと。
後は・・・・・・。でも、美味しいお酒

と魚ですね。この取り合わせはむこ
うでは味わえない。
寒さもですね。むこうでいっしょだっ
た日本人と「寒いのいいよね~」っ
て言うんですよ。」
寒さは集中力を高める。
暑いバリでは、集中する時はあるの
かとたずねてみたら、音楽を聞いて
いる時だという。
闇の中、ガムランの音が鳴り響き、
次第に感性が高まっていく。
トランス状態になった人が走り出し、
それを待っていて、追いかける人
がいる。
そして、今日は多かったねとか、少
なかったねとか話しながら楽しんで
いる。(バロンの奉納行事)
その全てが、集中した時間だという。
では、悪い印象の方は?
「悪さね・・・・・・・。
相手の立場を考えていない。身内
の部分とそうでない部分の敷居が
高い。袖振り合うも多少の縁って
いうのが無くなっちゃった。
息子(バリで育ちいっしょに帰国
した)がそうです。電車に乗ってて
も、隣の人とコミュニケーションする
のが普通だと思っているので、隣
の人は困っちゃう。
もう一つ、文化的なことなんですけ
れど、違和感があったのは、ラジオ
を聞いていても何しても、洋楽とか
アメリカの音楽がほとんどだという
のがどうも馴染めない。むこうでは
何でもかかるんですよね。インド映
画ばっかりなんていうのがあって、
ジャワ島でイスラム教の人がインド
映画好きなんですよ。濃い顔で追
いかけられていた人が突然歌った
り、踊ったりするエンタテイメントが。
日本のアニメも早くから入ってくる
し、韓国も早かったですね。
日本は、不満ていうか、つまんない。
こっちでは展覧会でも、物凄くどっ
と行くので、すごいなって。結局、
日常的にそういったものに接する
機会が無いので、大きいのが来る
とみんなそっちに行っちゃうのが、
不思議ですね。
バリでは、常にアーティスティックな

雰囲気があって、そんなこと意識し
なくても、とにかくそういうのが多い
ですから。」
バリやバンドンの現状はどうでしょ
うか?
「それなりに豊かになっていくところ
があって、あの世界でコンビニがで
きはじめる。もともと日本で言う所の
よろず屋的な店がいっぱいあった
わけで、今でもありますけれど。現
地のコンビニは日本みたいには品
物は揃っていないんですけれど、
雰囲気が似てますよね。蛍光灯が
明るくって。
でも、市場(パサール)が廃れること
は絶対ないでしょうね。
バリの人は、祭礼のために仕事をし
ているというのがあって、祭りってい
うのはしょっちゅう生活の中に組み
込まれているんで、その合間にいっ
しょう懸命稼せいでいる。プライドも
けっこう高いところがあります。
ジャワ島の人はすごく婉曲的に、遠
くまでいってグルッと帰ってくるような
言い方でやってくれるんですけれど、
バリの人はストレートなんで、早いと
いえば早いですけれど、意外に主
張するところは主張するような気がし
ますね。
バリヒンズー教というのはここだけで
すよね。他はモスレム(イスラム)かク
リスチャン。インドネシアっていう国は
世界で一番モスレムの人口をかかえ
ていますから。それで、200近い民
族と200近い言語があるから、それ
だけ面白い。国を治めていくのは至
難の業です。居れば、居るほど解ら
なくなる。やだっていうのと、面白い
っていうのがあってね。」
仕事として付き合うには、どうなんで
すか?
「バリヒンズーには暦が二つあって、
それぞれに定期的に祭礼があるか
ら、しょっちゅう動かなくなります。
人も車も動かないので、それは諦め
るしかない。
人間関係も大変です。一度信頼関
係が出来ると、よほどのことが無い
限り裏切られる事が無い。そういう
関係は無いですよね、裏切る裏切ら

ないっていうのは。話をしてて、そこ
まで信じるかっていうのがありますよ
ね。何度かあった人が、親に会いに
行こうと思うけれど行けないからお金
渡しといてって札束を渡すわけです
よね。いいのかって聞くと、ああわか
ってるなんて言われて、何をわかっ
ているんだろうっていう感じですよね。
一度入ってしまうと全部信頼しちゃう
んで逆に重いですよね。ビジネスの
世界だけで信用してくれればいい
んですけれど、全部っていうのが、
だいたいほとんどですね。
日本に帰ってくると、生活と仕事が
バラバラみたいな、うまくリンクされ
ていないっていうか。向こうに行くと
そういうのがタラーッと、連綿と流れ
ているので、仕事してたり、お祈りし
てたり、生活してたりっていうのが
流れていくんです。」
品物を扱う基準は何ですか?
「それは、一つ言いたかったのは、
バリ島の何々って、そう言いたくな
かったんですよ。一応はバリはメジ
ャーで、売りやすい名前ですよね。
でも美味しいね、どこの?、ああバリ
なの、っていうのが一番いいんです。
塩でも揚浜式できちんとやってくれ
てるところは少なくて、何十件とある
中で、うちが取引しているおじさん
が真面目にやってくれている。
その中で、乾季に作った質のいい
物を扱っています。
向こうの人ってビジネスライクで、
高く買ってくれるところに売っちゃっ
たりするんですけれど、あんたと取
引きしたいというところが出てくるん
ですね。うちの分をとっておいてくれ
る。そうだからちゃんと売らないとい
けない。」
間口は知的なのだけれど、あくまで
情の人なのだ。
深情けだとさえ言える。
だから、インドネシアで信頼もされて
きた。
バリに事務所も持ち、奥さんが常駐
している。
バンドンに出版社を持ち、現地スタ
ッフと共に消えいく文化の記録や、
精密で美しい切手のデザインなども

していた。
日本でも、インドネシアでも、決して
良いほうに向かっているとは言えな
い状況で何か展望はあるのだろう
か?
「こうあって欲しいというのは、観光で
も、浜辺でただボーっとしているん
でも、今自分たちの生活を見直すっ
ていう旅行をしてもらうっていう風で
あって欲しいですね。お金で買えな
いような、こういう暮らしもある、こうい
う考え方もある、そういうのが続いて
いるのを見てきてもらいたいし、また
伝えていきたいですね。」
美しいものや、知的に興味深いもの
を提供することに情熱を傾ける。
根っからのプロデューサなのだ。
以前話したときの「こんな時代だか
らこそ、本当に良いもの、美しいも
のが必要とされていると思う」という
言葉は印象的だ。
携わるのは、品物や博物館など、
具体的で現実的なものであっても、
求めているのは理想の美や光なの
だ。
それを感じてくれる人たちは、確か
にいる。
しかしそれが圧倒的少数であるの
が、竹内さんにとっても、晴屋にとっ
ても問題なのだ。
それでも、赤裸々な闇を見つめる
眼は捨て難く、誰に教えられたわ
けでもない、内なるほのかな光明
を求める精神は消えることがない。
(この文章は2005年(晴暦25年)6月に晴屋通信に掲載したものです。
バリの塩は相変わらずの好評で他のものが受け付けなくなってしまいます。
ただ、天候の異変で収量が上がらず、不景気のためバリからの直接の船便が
たたない状況で入荷が安定しません。出しては見ても一月以上どこにあるのか
わからなくなる時もあるようです。)

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